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ホットロッドという言葉はマジックワードである。
アメリカンカーとその文化を語るとき、誰もこの語を避けて通ることはできない。にもかかわらず、その起源はどうもはっきりしない。ホットロッドが意味するところも、時代、場所、そして語る者によって多様に揺れ、21世紀になったいまでもそれは変わらない。われわれ日本語話者はよく「ホットロッドがわからない」と口にするが、当のアメリカ人もまた、この語をひとつの定義に閉じ込めることなく、その揺れを抱えたまま使いこなしてきたように見える。
アメリカンカープラモ・クロニクル第62回は、このホットロッドという大きな語から枝分かれした、ストリートロッド、ストリートマシーン、プロストリートという語群を手がかりに、それぞれが指し示す車、時間、そして空間を正確に見分けようとするものである。
【画像82枚】理解ができれば見え方が変わってくる、様々なキットたち
裏庭や納屋からドライレイクへ
ホットロッドとは、まず「工夫」である。
第一に、速度への原初的な志向があった。戦前から続くアメリカの自動車工業がおびただしい数を量産して送り出し、やがて中古市場や裏庭、納屋の片隅に納まっていった古い車たちを「安い」元手として、これをいかに速くてすばしこい、そしてかっこいい車に仕立て直すか——ここに起源があった。
ホットロッドの工学的な原型は比較的単純だ。車体を軽くすること、不要なものを捨て去ること、エンジンを強くすること、吸排気の仕組みを改善し、ギアレシオや駆動系を加速のために再編すること、姿勢を低く「速そう」にすること。これらはことごとく、工場出荷状態からの逸脱を意味する。アメリカ英語はこの手つきを、いつしか「スープアップ」と表現した。
語源がはたしてほんとうに煮込み料理から来たものかは措くとして、この表現は「素材に過ぎないものを保存的に扱わない」というホットな介入のあり方を的確に捉えていた。車を速くするその過程で彼らはあらゆる要素を検討し、判断し、付け足し、切り捨て、量産車であった痕跡をなお残しつつも、どの工場にも出荷履歴を持たない車をそれぞれ完成させていった。
アメリカの一般道路は、このホットロッドの欲望を受け止め切れる場ではなかった。せっかく作り上げた速度を十全に発揮するためには、誰にも邪魔されない広大な土地を必要とした。やがてビルダーたちは南カリフォルニアのはずれにひろがる乾湖に理想の地を見出して、そこへ集まるようになった。それぞれ自慢の車ばかりがあちこちから寄り集まれば、「誰の車が最高かはっきりさせよう」と誰かが言い出すのは当然の運びだった。
しかし、乾湖に場を得た速度への欲望が、そのまま社会から祝福されたわけではなかった。ホットロッドは人々の注目をあつめるにつれ、街路においてもその姿を見せはじめた。交通法規の網の目をかいくぐり、あるいは大胆に突っ切って走る若者たちの車は、社会の良識と安全を脅かす反社会的な流行と見做されはじめ、新聞の社説はこぞってホットロッドを「悪名」にしはじめた。

ホットロッドの象徴=デュース(1932年式の意)の図式はもはや意味を点検されないほど強い。ロードスターとクーペ、もっといえば3ウィンドウクーペをはっきり「神話」の中心として、他を周縁化する。しかしホットロッドの最前線は、お約束に盲従することで成立しているわけではない。むしろこうしたチューダーセダン(2ドアセダン)のようなテーマにおいてそのアティテュードを鍛え上げる(品番T133)。
ホットロッドの欲望はここに、小さな枝分かれを生じさせた。交通法規を遵守し、社会からの敵視を羨望と憧れのまなざしに変換しうる「社会化」されたホットロッド——アンリミテッドの平原ではなく街場を走り、赤信号あらば必ず停まり、ふたたびなにごともなかったように走り出すその車は、やがてストリートロッドと呼ばれるようになった。
おれのロッドはストリートのキングだぜ
しかし、街路へと差し戻されたホットロッドの欲望は、ストリートロッドだけに託されたわけではなかった。1960年代半ば、デトロイトはこの欲望の一部を、工場出荷状態の自社製品へと取り込みはじめた。ファクトリースーパーカー、のちにマッスルカーと呼ばれることになる一群である。
古い車を安く手に入れて軽くし、強いエンジンを載せて速くする——その手つきは本来、ビルダーの側に属するものだった。ところがポンティアックGTO以後のファクトリースーパーカーは、ミッドサイズの量産ボディーに大排気量V8を組み合わせ、保証書とローンとディーラー網をともなった「工場からの出荷履歴を持つホットロッド」として市場にあらわれた。
そんなファクトリースーパーカーの登場は、必ずしもホットロッドビルダーたちにとって「簒奪」ではなかった。新しい車を生み出すのはデトロイトの、古い車を生まれ変わらせるのはビルダーのそれぞれ領分である。それぞれが出した結果が街路をクルージングするとき、あつまる注目は質の違うものだった。デトロイトにはディーラーショールームが、南カリフォルニアにはクラブやイベントがあった。ファクトリースーパーカーの登場と隆盛は、かえってストリートロッドに「古い車をめぐる独特の文化」というはっきりした輪郭を与えることとなった。
1970年、イリノイ州ピオリアで最初のストリートロッド・ナショナルズが開かれ、NSRA(ナショナル・ストリートロッド・アソシエーション)の設立へとつながった時点で、ストリートロッドははっきりとシューボックス・フォード以前の車、すなわち1948年以前の車をもっぱら取り扱うという性格を強く打ち出していた。
デトロイトからの消失――新たなストリートへ
だが、デトロイトがひととき描いてみせたホットロッドの欲望はそう長くはもたなかった。
保険料の高騰、排ガス/安全規制、ガソリン価格の不安、そしてデトロイト自身の内向きな合理化によって、ファクトリースーパーカーは1970年代前半のうちに急速に力を失っていく。1970年頃をひとつの頂点として、かつて工場から出荷されていた「デトロイト発の新作ホットロッド」は、ほんの数年のうちにショールームから姿を消した。さまざまな歴史書の多くが1970年代のアメリカ車について、環境と安全への責任、ユーザーの燃費志向の高まりによって、従来のハイパフォーマンス路線を維持できなくなったものと整理している。
かくしてここに大きな空白が生じた。
デトロイトが新しいホットさを供給しなくなったあと、1960年代の夢をまだ手放せない者たちは、何を素材に、どこでその夢を作り直せばよいかを模索しはじめた——この問いが生み出した新たな分岐に与えられた名がストリートマシーンだった。

ストリートマシーン愛好家がスーパーカー(マッスルカー)ファンより本質主義的なのは奇妙なことではない。ご覧のクーガー・ストリートマシーン(品番1-0830/アーテル品番6386)がそのあちこちで示すように、はみ出し、突き破り、美しくまとまらない各種デバイスが外に向かって吐き出すのは、タイヤなら白煙、サイドパイプなら爆音、シェイカーフードなら振動、すべてスピードのインデックスである。彼らはショールームでスーパーカーに見とれているのではなく、取り戻したスピードを五感で感じているのである。
1949年以降の量産車、つまりストリートロッドの時間的枠組みからはみ出してしまうモダンな車たちを素材に、失われた「ホット」を作り直そうとする改造車がはっきりストリートマシーンと名指しされるまでには少々時間がかかった。デトロイトの工場からやって来たフレッシュなハイパフォーマンスカーがかつてスーパーカーと呼ばれたように、「スーパーストリートロッド」という暫定的な呼び名がしばしのあいだ流通し、その痕跡はamtが時代遅れとなったアニュアルキットにパーツを追加することでスープアップし直したキットの名指しにも使われた。
この暫定的な呼び名には、ストリートロッドという語の単純な拡張によって、モダンな改造車たちもひとまず取り扱える範疇に収めようという期待があったが、やがてストリートマシーンと呼ばれることになる車たちに固有の性格を取り逃しかねない鈍さがあった。
過剰さは祝祭的性格を帯び、そのための場所を要求する
ストリートロッドが古い車を現代の道路へ連れ戻す「時間の技法」であるなら、消滅したファクトリースーパーカーがかつて示した方向性——デトロイトがショールームで一括供給していた熱気、すなわち新車であり、保証付きであり、合法的でありながらひどく過剰であるという、あの矛盾した関係の温度そのものを作り直す試みは「空間の技法」というべきものだった。
注意すべきは、これが「速い新車」を手作りでやり直すという機能的代替ではなかったことだ。壊れてしまった、失われてしまった品を同等品にただ置き換えるだけならば、そこに「理想化」の操作はさほど入り込む余地がない。しかし回復しようとするものが関係の温度であるなら、代替は必ず過剰な理想化を帯びる。それがワンオフならばなおさらである。
かくして「スーパー」ストリートロッドの呼称は次第にフェードアウトし、ストリートマシーンはストリートロッドが獲得した社会性の上に、ファクトリースーパーカー喪失後の過剰な理想を重ねはじめた。
ストリートマシーンの「過剰さ」をわかりやすくいえば、デトロイトがファクトリーマッスルカーの死とともに手放し、あるいは正当化できなくなったものを「記号的に拾い直す」ことだった。たとえばコルベットが捨てたクロームのサイドパイプを中古のベガやファイアバードが、マスタングBOSSやダッジ・シックスパックが捨てた隆起するフードスクープをコロネード時代のカットラスやラグーナが、太いリアタイヤやロールバーを節約志向のファミリーカーが拾い直す、といったようなことだ。そのふるまいはどこか露骨だった。
ここで必要とされたのは、そうした過剰さを受け止める場の設計だった。それを本連載はひとまず「フェアグラウンド」と呼ぶことにしたい。
フェアグラウンドとは、場所としては固定されていながら、新たな催しのたびに仮設的な性格をくり返し帯びる空間のことである。フェアグラウンドでは農業従事者があつまって家畜や作物の品評がおこなわれることもあれば、移動式遊園地やサーカスがやって来て屋台が居並ぶこともある。ステージやグランドスタンドが設営されて劇場化することもあれば、常設の芝地や舗装路、駐車場がその日限りの機能と動線を担うこともある。いわばフェアグラウンドは都度設計の変わる一時的な仮設都市であり、そこには当然、仮設のストリートがあらわれる。
ストリートマシーンが本領を発揮するストリートとは、この仮設のストリートだった。来訪者を当て込んだ屋台が居並ぶ「大通り」にふさわしく、ストリートマシーンもまた来訪者の視線を当て込んでいた。本物の街路ではだめである。
ひとたび過剰なストリートマシーンが本物の街路にくり出せば、そこにある一般交通との摩擦がただちに問題化する。奇抜な姿、スピード、騒音に注目する眼はおそらく彼らを迷惑がる近隣住民の、警察の、あるいは保険会社の調査部のそれであるかもしれなかった。どのような催しであれフェアグラウンドに必ず設けられるもの——それは入退場のゲートである。
本物の街場とゲートで隔てられた空間は、すべてがストリートマシーンのために設計されていた。過剰なストリートマシーンが悠々クルージングし、あつまった観衆はそれに喝采を浴びせ、屋台で飲み食いし、祝祭の熱気にしたたかに酔った。雑誌のプレスはカメラを手にフェアグラウンドを駆け回り、注目すべきストリートマシーンを撮影し、ビルダーの話を聞き、雑誌に書き立てた。マシーンそのものといわずパーツといわず商取引がそこかしこで成立し、「次なる一台」への期待が取り交わされた。
ファストでラウドなパーヴァージョン

現代のフェアグラウンド・イベントのなかでも、特にきわどくワイルドな「一触即発」を見せてくれるロードキル・ナイツのワンシーン。土足で車に乗り上がってはしゃいでいるのはこのイベントの主催者側、つまりロードキル/モータートレンド側の人物ではなく、むしろライバル関係にあるファスト・ン・ラウド/ガスモンキー側のホスト、リチャード・ローリングスだ。ライバル番組/メディアの顔役が騒々しいヒールとして公式に招かれ、「安全な」一触即発を演じることでイベントは毎回大盛況なのである。(写真:ステランティス)
1977年、インディアナ州インディアナポリスで開催された第1回カークラフト・ストリートマシーン・ナショナルズは総勢1,300台のストリートマシーンをあつめ、観衆は約10,000人を数えた。回を重ねるごとにこのふたつの数字はみるみる膨れ上がり、10年足らずで5,000台ものストリートマシーン目当てに113,000人が押し寄せる規模となり、会場はカークラフト誌がモットーに掲げる「うるさく、速く、リアル」(Loud, Fast, Real)をそのまま具現化した。
そこかしこで上がるけたたましい騒音とバーンアウトの煙、歓声、カメラのフラッシュ、一般道路ではけっして見られない過激なショーボート・クルージング。参加するストリートマシーンは年を追うごとに「速そうに見えること」「カメラ映えすること」をなによりも先鋭化させ、さも当たり前のように異形化していった。1980年代に入って、NHRAプロストックの競技車両ともはや見分けがつかないほど大胆な改造車がフェアグラウンドの視線をさらうようになると、それらはメディアによってプロストリートと名指しされるようになった。
プロストリートとは倒錯の名である。ストックボディーに巨大なリアホイールタブといったドラッグストリップという閉じた競技空間でしか正当化されないはずの異形を、ストリートに属する車として製作し提示する。ストリートを名乗る以上、それは一段高いところに飾られる派手な置物であってはならず、信号でぴたりと止まり、なにごともなく再始動し、普通にクルーズする車であらねばならなかった。ライセンスプレートは、曲がりなりにもこのプロストリートと呼ばれる車にも付いているのだ。

ホットロッドからの他の分岐に較べて、プロストリートは「定義」にこだわる。プロストリートはエンジンの仕様以上に、市販車のボディーに巨大なリアタイヤを収めるために拡大されたリアホイールタブを重視するが、この改造は車の構造を根本的に変えてしまうため後戻りできない。ここが「なんちゃって」を許さない——プロストリートが定義にこだわる姿勢につながっている。
かようにアメリカの改造車をめぐる変遷は、乾湖、街路、ショールーム、そしてフェアグラウンドと場所を変えつつ、車に注がれる視線をどう肯定的なものに変えていくかにいつでも核心があったといえる。実際に走り出すこともなく、しかしさまざまな判断を実装して完成形に到る改造車のプラモデル作品を前にするとき、あなたの視線もまた「どこか」に所属しているはずである。
プラモデル作品は「これは何か」を示すだけではなく、「ここはどこか」を必ず連れてきている。そこに気づいたとき、あなたは「完成おめでとうございます」がいかに言葉足らずだったか、はたと気づかされるのではないだろうか。
※今回、レベル1/25「リック・ドバーティンズ・ラディカルJ2000 ポンティアック・プロ/ストリート」、「マット・アンド・デビー・ヘイズ・プロストリート・サンダーバード」の画像は、読者の司裕次郎さんのご協力で撮影いたしました。
※amt 1/25「’32フォード・チューダーセダン」、「’37シェビー・クーペ」の画像は読者のSakamotoさんからご提供いただきました。
※amt 1/25「’64インパラ/スーパーストリート」、mpc 1/25「’32フォード」(ラウンド2復刻版)の画像は読者の是空さんからご提供いただきました。
※mpc 1/25「チャージャー・ストリートマシーン」、「THE CAT クーガー・ストリートマシーン」、「モンザ・プロストリート」、「プロストリート・バラクーダ」、「プロストリート・マスタング」、amt 1/25「プロストリート’70コロネット・スーパービー」(パッケージのみ)、ジョーハン1/25「プロストリート・ランブラー」の画像は読者の0040 Hall Of Shameさんからご提供いただきました。
※MPC 1/25「グランピーズ・ベガ」(ラウンド2復刻版)の画像は読者の久保大輔さんからご提供いただきました。
※グランピーズ・ベガTシャツの画像は読者のグリースモンチッチさんからご提供いただきました。
ありがとうございました。