コラム

「すべてのホイールは私の息子」O.Z レーシング創設者が語る“勝つための哲学”【中三川大地の車輪革命】第6回

「O.Z Racing」の創設者にして、現O.Z S.p.Aの会長を務めるクラウディオ・ベルノーニ。
「O.Z Racing」の創設者にして、現O.Z S.p.Aの会長を務めるクラウディオ・ベルノーニ。
O.Z 55周年を記念したアニバーサリーイベント。
O.Z 55周年を記念したアニバーサリーイベント。
O.Z S.p.A 本社ファクトリー。
本社ミュージアムにある歴代ホイール。
本社ミュージアムにある歴代ホイール。
「O.Z Racing」栄光のレーシングヒストリー。
ラリーレーシング。
カルロス・サインツが1990年のWRCでワールドチャンピオンを獲得した際のトヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)。
ラリーレーシングを装着した歴代ラリーカー。
ラリーレーシング。
ラリーレーシング。
ラリーレーシング生誕40周年記念で誕生したRR40。
ラリーレーシング生誕40周年記念で誕生したRR40。
「O.Z Racing」の創設者にして、現O.Z S.p.Aの会長を務めるクラウディオ・ベルノーニ。

ウィニング・ホイールであり続ける理由

2026年、イタリアンホイールメーカーのO.Z(オーゼット)の創業55周年を祝うイタリア本社での記念式典を訪れた。半世紀以上におよぶ彼らの躍進を支えた、最大の原動力は「O.Z Racing(オーゼット・レーシング)」の名を持つレース活動だろう。それは会社にとっての技術的、精神的支柱である。そんな大黒柱を創り上げた男の話に耳を傾けながら、オーゼット・レーシングの強さの源を、製品にみなぎる魅力を探る。

【画像15枚】サインツが駆ったセリカGT-FOURの姿も。O.Z本社ミュージアムに並ぶ栄光の歴代ホイールを見る
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キーパーソンが語るブランドの一貫性

「ホイールは円形のなかでデザインを完結させなければならない。タイヤやフェンダーとの関係性のなかで容積に限りがあり、サイズや奥行きが規定されてしまう。ゆえに表現には規制が生まれ、己のアイデンティティを貫くのが難しいプロダクトです。しかし、それでもなお、私たちらしいホイールを提供し続けたい。たとえデザインアプローチが違っていても、ロゴを隠していたとしても、私たちの作品だとわかってもらう。そのためには“私たちならでは”という一貫性が重要です。私たちの根底に宿るもっとも大切な一貫性とは――それこそが、レーシングです」

O.Z 55周年を記念したアニバーサリーイベント。

O.Z 55周年を記念したアニバーサリーイベント。

イタリアンホイールメーカーとして世界的企業へとのぼり詰めたO.Z(オーゼット)は、2026年で55周年を迎えた。その記念として催されたイタリア本社の式典で、濃密な55年を振り返るには欠かせないキーパーソンであるクラウディオ・ベルノーニと話す機会を得た。彼はオーゼットの核となる『O.Z Racing』を立ち上げ、世界中のレースシーンを掌握するかのような同社の活躍を牽引してきた。長年にわたってCEOとして会社の舵取りをしてきた男でもある。

2026年、ベルノーニはもう75歳になった。近年はCEOの座をエロス・サレッタに譲り、自身は会長の座に就いている。若手育成にも積極的で、その象徴的存在である彼の息子アンドレア・ベルノーニは、父親の意志を受け継いでレーシングビジネスの責任者となった。

O.Z S.p.A 本社ファクトリー。

O.Z S.p.A 本社ファクトリー。

とはいえ、ベルノーニは会社経営や設計開発に関して、高みの見物をするつもりは毛頭ないようだ。いまでも率先してホイールデザインに取り組み、設計開発の場で議論を重ねている。常に現役にして現場主義を貫く男だ。彼とは10年以上前から何度かお会いしてきたが、エネルギッシュな様子は、何も変わってはいなかった。

毎日、一歩ずつ歩んでこそ革新があり、その先に勝利がある。

「他より抜きん出て、勝つためには“継続”が重要。決して、ひと足飛びに“革新”が生まれるものではない。毎日絶えず、一歩ずつ、改善を継続させてこそ得られるものです。トップカテゴリーではたとえレギュレーションが不変であっても、毎年、ホイールに限らず、数多くのパーツが新たに設計開発され、仕様変更が繰り返されるのが何よりの証です」

本社ミュージアムにある歴代ホイール。

本社ミュージアムにある歴代ホイール。

オーゼット・レーシングは、カテゴリー問わずモータースポーツと40年以上にわたって向き合い、ときにトップチームからの厳しい要求を上回るほどの高性能ホイールを供給してきた。F1やWRC、WECに加えて、IMSA、ダカール・ラリー、MotoGPでのタイトルの数はざっと200以上。フォーミュラEやインディ、WRCのワークスチームなど、もはやオーゼットがワンメイク化しているようなカテゴリーも珍しくない。2026年、ホイールメーカーが自由化したF1では、11チーム中5チームがオーゼット・レーシングを選んだ。こうして彼らは世界最高峰の舞台で、切磋琢磨しながらホイールを磨き続けてきた。

「O.Z Racing」栄光のレーシングヒストリー。

「O.Z Racing」栄光のレーシングヒストリー。

世界最高峰のモータースポーツで鍛え上げた技術が惜しげもなく注ぎ込まれるからこそ、オーゼットのアフターホイールはひと目みてオーゼットだとわかり、独自の造形美を宿すのだろう。これこそが冒頭で記した一貫性だ。落とし込まれる技術的アプローチを紐解けば、枚挙にいとまがない。しかし、なによりも重要なのは、具体的な技よりも思想だと思う。それは「毎日絶えず、一歩ずつ、改善を継続させてこそ得られる」高性能である。

「今日ここにある会社は昨日とは異なるものであり、明日もまた今日とは違うでしょう。毎日、新しいことに挑戦し、昨日よりも常に進歩し続ける。それを促してくれるのがレーシングの世界でした」

メモ書きから生まれた最高傑作。

そうした思想をもとに、ベルノーニ率いるオーゼットは、いままで多種多様な高性能ホイールを生み出してきた。その系譜は多様ながら、ひとつの軸にして象徴的存在として取り上げたいのは『ラリーレーシング』だ。彼にとって初作品にして、勝つためのラリーホイールとして一躍脚光を浴びた。カルロス・サインツがトヨタ・セリカGT-FOURでWRCワールドチャンピオンに輝いた際に履いたホイールでもあった。

カルロス・サインツが1990年のWRCでワールドチャンピオンを獲得した際のトヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)。

カルロス・サインツが1990年のWRCでワールドチャンピオンを獲得した際のトヨタ・セリカGT-FOUR(ST165)。

「40年前、私がふと思いついて封筒の切れ端にペンを走らせてラフスケッチをしたものが、やがてラリーレーシングとなりました。それは今もなお最高峰の性能とスタイルを持つと自負しています。こんな感動があるから、ホイールづくりは魅力的です。お気に入りのホイールは数え切れないほどあって、ベストがどれかなんて決めることができない。すべてのホイールは、私の息子みたいなもの。だからラリーレーシングは私の長男ですね」

ラリーレーシング。

ラリーレーシング。

思いつきのラフスケッチから生まれたといっても、ラリーレーシングのデザインは理にかなっていた。マシンが飛んだり跳ねたりしてもへっちゃらという強度が宿り、たとえタイヤがバーストしてホイールだけになっても自走でピット(サービスパーク)まで戻ってくることのできるほどの強靭な構造を持っていた。また、このディッシュデザインは、グラベルを全開走行してもブレーキが石を噛みにくい形状でもあった。

ラリーレーシング。

ラリーレーシング。

そんな偉大なる“長男”の40歳を記念して、先日、その進化版である『RR40』が登場した。ラリーレーシングの象徴であるディッシュデザインと、内に秘めたレーシングスピリットを継承しながら、より現代的にブラッシュアップしたものだ。

ラリーレーシング生誕40周年記念で誕生したRR40。

ラリーレーシング生誕40周年記念で誕生したRR40。

RR40は、40年前に描かれた1枚のラフスケッチが、いまもなお生命を宿しているかのように歩みを止めることなく、次世代へと進化発展した証だ。クラウディオ・ベルノーニという男が“レーシング”から学んだもの。「日々の小さな改善を毎日積み重ねていくことではじめて、その先に革新があり、勝利がある」という哲学を、RR40は静かに、しかし雄弁に物語っていた。(文中敬称略)

ラリーレーシング生誕40周年記念で誕生したRR40。

ラリーレーシング生誕40周年記念で誕生したRR40。

【画像15枚】サインツが駆ったセリカGT-FOURの姿も。O.Z本社ミュージアムに並ぶ栄光の歴代ホイールを見る
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Photo: 中三川大地/D. Nakamigawa
中三川大地

AUTHOR

1979年生まれ。自動車雑誌の編集部勤務を経て25歳で独立。以後、フリーランスのモノ書き、ジャーナリストとして活動する。「姿、技術、時流、考えかた」などを堅実かつ独自の切り口で表現、考察する。正確性を追求しながら、文章の表現形式に「スタイル」を貫き、わかりやすくおもしろい表現にこだわる。輸入車、国産車問わず、アフターパーツやカスタム、モータースポーツに関する造詣が深い。

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