ポルシェの歴史を彩る、もうひとつのアニバーサリー
ポルシェは今年、2つの大きな節目を迎える。1つ目は、1951年のル・マン24時間レースから始まったモータースポーツ活動の75周年。そして2つ目が1976年発売の924からスタートするトランスアクスル・モデルの50周年だ。
モータースポーツの75周年に関してはすでに7月1日から『75 Years of Porsche Motorsport』として、トランスアクスルに関しては8月25日から『Forever Young. Celebrating Transaxle』というタイトルで、それぞれ特別展がシュトゥットガルトのポルシェ・ミュージアムで開催されることになっている。ここからは、そこに先駆けてポルシェ・ミュージアムの所蔵車を通じたポルシェ・トランスアクスル・モデルの足跡を辿ってみたい。
ポルシェが「トランスアクスル」を採用した切実な理由
トランスアクスルとはトランスミッションとファイナルギア、ディファレンシャルギアを一体化したもので、FRレイアウトにおいてリアアクスル前に配置することで前後重量配分を最適化する目的をもつ。その歴史は古く、1938年にはアルファ・ロメオが1.5L ヴォワチュレット・クラスのレーシングカー、Tipo 158アルフェッタに採用し大成功を収めている。
ポルシェがトランスアクスルを採用したのは、ポルシェの社内事情が大きく変わったのがきっかけだった。356以降、空冷水平対向エンジンのRRレイアウトのスポーツカーを送り出してきた彼らだが、その経営は1949年にフォルクスワーゲンと締結した技術コンサルタント契約によって支払われるロイヤリティ収入によって下支えされていた。
ところが1971年にVW 3代目会長に就任したルドルフ・ライディングはグループ内各社の独立採算化を断行。ポルシェと共同開発を進めていた床下ミッドシップの小型車EA266を中止したほか、ミッドシップ・スポーツ914のために設立した“VW‐ポルシェ販売会社”も解消した。
それを受け、1972年にフェリー・ポルシェ以下ポルシェ一族は経営から退き、公開企業として再出発を図ることになったのだ。ここで社長に就任したエルンスト・フールマンは、経営改革を行うとともに、911/914に代わるラインナップの再構築を画策。そこで白羽の矢が立ったのが、アウディと共同で開発を進めるもお蔵入りとなっていた2+2 FRクーペだった。
ボトムレンジを担い、大ヒット作となった異端児「924」
“アウディ・スポーツ”と呼ばれていたそのクルマは、アウディのイメージリーダーとして企画されたもので、アウディ80やVWゴルフのパーツを流用しコスト削減を図る一方で、リアアクスルにトランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルを配置。加えてエンジンとトランスミッションをトルクチューブで繋ぎ、その中にプロペラシャフトを通すことで騒音、振動対策を施されていたのが特徴であった。
フールマンはこれをベースとした914に代わるポルシェのボトムレンジを担うモデルの開発を指示。エンジンはアウディ100に搭載されていた1871cc直4 OHVをベースに排気量を1984ccに拡大したうえでSOHCヘッド、ボッシュKジェトロニックを組み合わせた新型ユニットを搭載。さらにボディは若きハーム・ラガーイによるウェッジシェイプの2+2が採用され、アウディの協力のもとネッカーウルム工場に日産100台の生産体制が整えられた。
こうして1976年から発売が開始された924は、早くも1977年には2万6393台を生産。1979年に924ターボ、1980年にFIAグループ4用の924カレラGTなど派生モデルを追加しながら1985年までに15万台が製造される大ヒット作となったのである。
911に代わるフラッグシップ「928」の飽くなき挑戦
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