伝説のコラボレーションが生んだ至高のセダン:メルセデス・ベンツE500リミテッド
1984年に発表され、日本では1986年の「自動車100年祭」でデビューを飾った名車W124(1984~1996年)。のちに正式な「Eクラス」の呼称が与えられたこの系譜において、今なお伝説として語り継がれる頂点が存在する。今回は、シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館「ヤングタイマー」コレクションルーム5に所蔵されている、W124シリーズ最高峰の最終生産モデル「E500リミテッド(Limited)」を紹介する。奇跡的なコンディションを保つ最後の1台から、“最後の本物のメルセデス”と呼ばれる理由と、その誕生に秘められた異例の協業劇を紐解いていこう。
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メルセデス・ベンツ博物館が収蔵した“完璧なる”W124最終生産車
シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館には、1990年代を象徴するモデルを集めたコレクションルーム5「ヤングタイマー」が設けられている。そこに静かに佇むサファイアブラックのE500リミテッドは、一見するとただのW124に見える。

メルセデス・ベンツE500リミテッド:メルセデス・ベンツ博物館の「ヤングタイマー」コレクションルーム5に展示されている最終生産車。
しかし、この車両こそW124シリーズ最高峰の最後を飾った最終生産車である。走行距離はわずか422km。1995年に生産されたこの個体は、まるで時間が止まったかのような状態で保存されている。これは単なる希少車ではない。1980年代から1990年代にかけて黄金期を迎えたメルセデス・ベンツの思想と技術の集大成なのである。
時代を超越するブルーノ・サッコのデザインと圧倒的エンジニアリング
1984年に登場したW124は、単なるW123の後継車にとどまらず、新世代のミディアムクラスとして開発された。有限要素法(Finite Element Method)という高度なコンピューター設計システムを駆使して空力性能を追求し、Cd値0.29を実現。同時にゆとりの居住空間、高度な安全性も確保していた。直前のW123までは「コンパクト」クラスだったが、W124では全長4740mm、全幅1740mmのボディを得て「ミディアム」クラスと呼ばれるようになった。
技術面でも、マルチリンク式リアサスペンションを“走る実験室”ことC111から移植し、まさにルネッサンスを迎え、世界のベンチマークとなった。そして長距離高速巡航を前提とした圧倒的な完成度を誇った。

メルセデス・ベンツE500リミテッド:E500は単なるスポーツセダンではなく、高速移動のためのグランドツアラーだった。
デザインを手がけたブルーノ・サッコは後に、「メルセデスは流行を追うのではなく、時間に耐えるデザインでなければならない」と語った。W124はその哲学を最も純粋な形で体現したモデルである。今日でも世界中で愛される理由は、単なる耐久性ではない。工業製品としての完成度が極めて高かったからである。
控えめなフェンダーに宿るM119型V8エンジンの咆哮
1980年代後半になるとBMWはM5を投入し、高性能スポーツセダン市場を切り開いていた。これに対しメルセデス・ベンツはAMG任せではなく、自らの手で究極のスポーツセダンを開発する決断を下す。
そして1990年、W124シリーズの頂点として「500E」を発表した。搭載されたエンジンは500SL/R129にも採用されたM119型5.0L DOHC V8だった。最高出力326ps、最大トルク49.0kg-m。

メルセデス・ベンツE500リミテッド:搭載されたエンジンは500SL/R129にも採用されたM119型5.0L DOHC V8。
数字だけなら現代では珍しくない。しかし1990年当時、この性能を備えた4ドアセダンは極めて異例だった。しかもメルセデス・ベンツらしく、派手なエアロパーツは存在しない。前後フェンダーを控えめに張り出した外観の奥に秘められた性能こそが500Eの魅力だった。
伝説の始まり。ツッフェンハウゼンと結んだ「異例の生産体制」