東名高速のすぐ脇にかすかな痕跡を残す古代の道
東名高速や国道1号バイパス、新幹線や東海道本線が通る日本の大動脈。その傍らに長屋門造の静かな集落がひっそりとたたずんでいる。時間の流れから取り残されたような山道はかつて万葉集にも詠われた古代の東海道だ。
東海道というと、まず思い浮かぶのは広重の浮世絵や弥次喜多道中に描かれた江戸時代の風景だろう。しかし、道の歴史はそれより遙かに古い。そもそも『東海道』という名前自体、もとをたどれば街道名ではないのだ。
律令制の時代(一般的には7世紀後半から10世紀ごろ)、日本国内は五畿七道に分けられていた。五畿とは都を含む周辺の畿内五国(現在の京都や奈良、大阪周辺)のこと。七道は東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道という都から遠く離れた地域。言ってみれば「中央と地方」である(ちなみに北海道は明治維新のときに蝦夷地から改称)。律令制における東海道は、いまの三重県から茨城県にかけての太平洋沿いに広がる行政区分で、そこに一本の官道が整備されていたため、いつしか地域の呼び名が街道名として定着していったのだ。
現代でもトンネルやバイパスができると道筋が大きく変わってしまうことがある。それと同じように東海道も時代ごとにさまざまなルートをとってきた。古代の東海道は、国道1号の旧道とほぼ一致する江戸時代の東海道より海寄りを通っていたといわれるが、いまそのルートを特定することは難しいそうだ。律令制の崩壊とともに官道はすたれ、長い年月の間に草木に覆われ、土に埋もれてしまったからだ。
そんななかにあって、かつての古道の痕跡をかすかにとどめているのが『やきつべの小径』である。
静岡県焼津市の北のはずれ、東名高速が日本坂トンネルでくぐり抜ける高草山の谷筋に『花沢の里』と呼ばれる小さな集落がある。山からの湧き水を集めた小川にそって狭い道が延び、そこに30 軒ほどの長屋門造の古い家並みが軒を連ねている。そして、やきべつの小径は花沢集落を過ぎるとクルマの通れない山道となり、日本坂峠を越えて東の静岡市側へと伸びていく。