眺める場所によりまるで違った表情を見せる
鳥取県の南西部にそびえる標高1713mの大山は、なだらかな中国山地の中にあってはひときわ目立つ独立峰である。そんな大山を中心に四方八方へと延びるのは参詣者や修験者が歩いた「大山道」。手つかずのブナ林に包まれ、霊峰を仰ぎ見ながらゆく信仰の道である。
なだらかに連なる中国山地のなかにあって、ひときわ異彩を放っているのがこの大だい山せんである。大山は古いカルデラの上に巨大な溶岩ドームが成長した成層複式火山で、最高峰は剣ヶ峰の1729m。標高だけをみると大したことがないようにも思えるが、周囲の山々から抜きんでた独立峰だけに、遠くから見てもひと目でそれとわかる秀峰だ。
中国山地に高い山がないことは、そこを越える峠の低さからも窺い知ることができる。山国・信州には、国道292号・志賀草津道路の渋峠をはじめ、2000mオーバーの峠越えがいくつもあるし、奥羽山脈を横切る見返峠(八幡平アスピーテライン)や刈田峠(蔵王エコーライン)もゆうに1500mをオーバーする。ところが、中国地方の5県には標高が1000mに達する峠は1本も存在しない。さらにいえば、深田久弥の名著『日本百名山』でも、中国地方から選ばれているのは、この大山ただひとつである。
国道482号の峠、内海乢(うつみだわ)から眺める大山。ここからだと荒々しい大山の南斜面全体を見てとれる。
周囲の山々から際立った存在だけに、大山は古くから多くの人々の信仰の対象となってきた。その中心地である大山寺が開かれたのは奈良時代の養老年間(西暦717年-724年)。平安末期には3000人もの僧兵を擁するまで勢力を強め、高野山や比叡山、吉野山などと肩を並べる西日本有数の大寺院だったという。そして、この大山寺を中心として、自然発生的に四方八方へと延びていった道は、いつしか「大山道」と呼ばれるようになる。
砂湯の近く、湯原ダムから流れ出る旭川に架かる吊り橋。
さらに時代を遡ると、『出雲国風土記』の国引き神話においても、その引き綱の杭となったのは大山だと言われている。大山道の多くは、時代の移り変わりとともに、盛んにクルマが行き来する観光道路に生まれ変わっているが、その歴史は神話の時代から続いているのかもしれない。
そのひとつ、標高600mから900mあたりの大山中腹をぐるっと一周する県道(通称・大山環状道路)を走ると、この山がただ美しいだけでなく、ちょっと不思議な姿をしているのが分かる。なにしろ見る場所によって、山の表情がまるでまったく別物のように変わっていくのだ。
道路脇で山菜採りを楽しんでいた地元のご夫婦。ふたりが手にしているのは「すずこ」と呼ばれる寝曲り竹。
主峰の剣ヶ峰を中心に高い峰が東西に連なる大山は、その南面と北面が鋭い刃物でえぐられたように崩落している。極端な言い方をすれば、分厚い鉈の刃を天に向かって突き上げたような形である。そのため、南の鍵掛峠から眺めると、目の前に断崖絶壁がそそり立ち、北の一息坂峠あたりからは北アルプスのような荒々しい岩肌がむき出しになっている。
一方、崩落面が見えない西の桝水高原や島根県側から眺める大山は、山頂まで緑におおわれた端正な円錐形をしている。伯耆国(鳥取県の中西部)にありながら、古くから『出雲富士』とも呼ばれてきたのはそのためだろう。