Roundup:10 デカール・ツーリング
かつてジム・ワンガーズという男がいた。
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特別装備としてのデカール
第二次世界大戦に海軍の従軍経験があり、戦後は新聞記者から広告業界へと転身、デトロイト自動車産業のアカウントの数々を担当した彼は、ポンティアックからスーパーカー(マッスルカー)ブームの火の手があがったとき、まさにそこにいた。
ジョン・デロリアンからの助言もあり、GMのなかのポンティアックという政治的最前線からは一歩外側に身を置いたまま、彼はGTOをさまざまな広告手法でアメリカに印象づけた。GTOがタイガー(虎)と呼ばれ、ときにゴート(山羊)と呼ばれた影に、やはり彼がいた。
カー・アンド・ドライバーの「巌流島」、1964年3月号のフェラーリGTO対ポンティアックGTOの段取りもまた彼のしわざだった。
煽情的な表紙イラストレーションに反して、フェラーリとポンティアックのGTO誌上対決はヘッド・トゥ・ヘッド=一騎打ちではなかった。
ボブ・グロスマン(名うての輸入車ディーラーにして自身もきわめて実戦的なドライバーだった)の用意したフェラーリは比較ロードテストに耐えられるだけの状態になく、代わりのフェラーリGTOオーナーを当たるも条件が折り合わず、結局ポンティアックGTO2台による徹底検証にフェラーリの名をデカールのように貼り付けて「これは事件だ」と読ませる記事に仕上げられた。
フェラーリがあらわれなかったとはいえ、ポンティアックの示したパフォーマンスはめざましいものだった。それもそのはず、用意された車は、「ポンティアック工場直営スピードショップ」とも呼ばれたディーラー、ロイヤル・ポンティアックが工場出荷状態と呼びうるギリギリまで性能を研ぎ澄まし、泣く子も黙るチャンピオンのウォルト・ハンスゲンがステアリングホイールを握っていたのだから。
印刷された雑誌の表紙は、記事を読まない者たちのあいだにも力強く流通する。「GTOの名を持つもの同士の一騎打ちがおこなわれた」――これはまったくの事実無根だが、この表紙はポンティアックとフェラーリ、ふたつのGTOにさも火花散る関係が生じたかのような印象を作り出すことに成功した。
「やはりフェラーリは強かった」とも、「ポンティアックは終始フェラーリを脅かした」ともとれるイラストレーションを大量に印刷・配布し、それがまるで真実であるかのように見る者の眼に焼きつけること――これがジム・ワンガーズの仕事だった。

カー・アンド・ドライバー1964年3月号の表紙は、まるでプラモデルの箱絵である。それは活躍想像図であり、事実ではないが、読者の欲望が求めてやまないシーンの具体像だ。’64ポンティアックGTO単独の肯定的なレポートに、読者はフェラーリ250GTOとの勝負の行方を想像せずにおれない。意識への刷り込みは一瞬で、しかも不可逆である。
ジム・ワンガーズ自身が、マッスルカーの「外皮」のようなものだった。外皮という語に小さく撥音を差し込めばよりわかりやすく、そして少々下品になるだろうが、彼の仕事は首尾一貫していて、ポンティアックのはじめたマッスルカーの物語が終息したあと――自動車をめぐるルールの多くが変わり、無尽のパワーにかかる保険料が跳ね上がり、夢を追いかけたベビーブーマーが育児に追われる主体となったあとも、彼はマッスルカーのイメージをビジネスにし続けた。
デトロイトが性能面にこれといった特徴のない穏当な車ばかりを生み出すようになると、ワンガーズはモータータウンと名乗る小さな企業を立ち上げ、そうした凡庸な車の表面に、往時のマッスルカーを強烈に匂わせるグラフィカルなイメージ、つまりデカールを貼り付けた「特別仕様車」を売った。
モータータウン・コーポレーションという屋号そのものが、往時のデトロイトを強烈に匂わせながら、けっしてデトロイトではあり得ない響きを帯びていた。彼はときに、デカールの薄膜のみならず、思わせぶりな外装の凹凸――エンジンフードのバルジやエアスクープ、クォーターウィンドウに取り付けるルーバー、リアスポイラーなどを用意することもあったが、それらはどれひとつとして車の本質的なパフォーマンスと接続するものではなかった。
ギミックとしてのデカール
後年になってワンガーズ自身により「デカールGT」とやや自嘲気味に回顧されるこれらの車は、デトロイトによるマッスルカーの終息を待たずにその端緒があらわれていた。プリマス・ロードランナーのヒットを目の当たりにしたシボレーが1971年後半、シェベルSSの廉価版として登場させた仕様RPO YF3ことヘビー・シェビーだった。
価格帯としては下から2番目のスポーツクーペに「HEAVY CHEVY」のフェンダーのロゴと気取ったストライプ、ブラックアウトグリルを表面処理として施したこのモデルは、スーパースポーツモデルの占有する454エンジンを侵すことなく展開されたことでロードランナーのようなヒットにはつながらなかったが、「25歳以下の若者にもせめてハイパフォーマンスらしい気分を」というアプローチの今後の伸びしろを示した。
1973年にオイルショックがリアルな悪夢になると、車の表面のみを覆うこの「ハイパフォーマンスの気分」は、時代の寝醒めの悪さを緩和しつつ、デトロイトの命脈をつなぐ薄皮一枚として機能した。
デトロイトアイアンと横断的に、ときにディーラーやマスメディアとも組むことで、ジム・ワンガーズは次々に「見た目のよい車」「いかにも速そうな車」を生み出した。1970年12月にはウィスコンシン州ミルウォーキーにジム・ワンガーズ・シボレーを開業していた彼は、モンテカルロをベースとした「ミルウォーキー・クラシック」を名乗るやはり表面違いの特別仕様車を売り出して成果を挙げていた。
「自分はつねに制度の外側にいる」ことにたいへん自覚的だった彼の活動は、シボレーの看板を背負ってもなお横断的なまま、ハースト・パフォーマンスとコンサルタント的に組んでクライスラー300「H」を結びつけたり、オールズモビル・ラリー350やAMCレベルマシーンにも関与した。1,000台程度、1シーズン限定の特別仕様車がハイパフォーマンスカー以上に「らしい」見た目をしているとき、そこには隠然と彼の影があった。
「427コルベットやヘミほどの加速力こそないが、フォルクスワーゲンや鈍重な貨物列車、そしてお父さんのキャデラックよりは速い」――AMCレベルマシーンの広告に謳われたこのフレーズが、当時の彼が主張する「気分」を巧みに要約していた。

ジョーハンとAMC、両社はともに「弱い者」として肩を組み、プラモデルを介して苦しいときを耐えていた。AMCはれっきとしたハイパフォーマンスカーとしてAMX、ジャベリンのふたつをすでに擁していたが、「反逆者」というモデル名以外はつとめて穏当だった中型車のレベルに、同社はきわめて鮮烈なイメージを上書きして「ザ・マシーン」のサブネームを与えて世に送り出した。(画像はジョーハン1/25「THE MACHINE」、品番2670)
応力外皮としてのデカール
価値や意味を極限まで薄く削り、車の表面にかっこよく貼り付けられるほどペラペラにする——こうした差異の哲学は、本来であればアメリカンカープラモにとってこそ福音となるはずだった。
しかし、マッスルカーの失速という1970年代の現実を受け容れたデトロイトプラスティックスは、生産台数1,000やそこらの限定車の「写し」に、数万ピースを売り切らなければ話にならないアメリカンカープラモの命運を託すことはしなかった。
MPCにせよamtにせよ、マッスルカーに代わって1970年代を代表しうるテーマについて考えあぐねた末、毎年の形状変化に乏しく、それでいて表面をより大胆に飾りつけることができる箱型のパネルバン/ワゴンを選び取った。あらかじめ美しく印刷されたデカールには、歳若いビルダーのつたない工作・塗装の技量を、最後の最後に覆い尽くして逆転しうる可能性があった。
フォードが1966年から展開してきたブロンコのイメージ刷新にあたり、1978年から導入したサンダウンストライプ(公称フリーホイーリングストライプ)が評判を呼んだとき、amtはそれと似て、しかしはっきりと異なるストライプをあしらって初めてブロンコをキット化したが、ここにはデトロイトプラスティックスのある「態度」が明瞭にあらわれていた――表面は自由である。ライセンスはテーマの「名前」にかかるものであって、表面の彩りはそうした拘束を一切受けつけるものではない、と。

デビュー時の1966年にはキット化の話すらなかったフォード・ブロンコが、1978年のモデルチェンジに呼応してキット化された背景には、前述のフリーホイーリン・キャンペーンが強く作用している。同キャンペーンは、amtがすでに持っていたエコノラインやFシリーズ・ピックアップの金型に再活用の機会を与え、新しくなったブロンコをキット化する強い動機をもたらした。(画像は2022年版、品番AMT1304/12)
ジム・ワンガーズとデトロイトプラスティックスは、結果として同じ「表面」に賭けることで、混迷の1970年代を巧みに生き抜いた。デカールの薄膜は、マッスルカーという太い柱を失ってもなお趣味の建屋を支え続けるシェル構造――魔術的なモノコックだった。
※今回、amt 1/25「1969ハースト・オールズ」「1972シェビー・フリートサイド・ピックアップトラック」「フォルクスワーゲン スーパーバグ・ギャッサー」(いずれもラウンド2版)、amt 1/25「マイティ・マット マタドールXストリートマシーン」「マタドールamt/x」の画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。
※また、amt 1/25「ワイルドホス フォード・ブロンコ4×4」(ラウンド2版)の画像は、読者の山下恭正さんからご提供いただきました。
ありがとうございました。
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