コラム

なぜメルセデスは真四角なGクラスの「空力」にこだわったのか。パリ・ダカを制した280GEと空気抵抗20.5%減の論理《LE VOLANT LAB》

1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールが駆った280GEラリーカー(ゼッケン番号142)。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカーが砂漠の中を疾走する。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカーが砂漠の中を疾走する。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカーが砂漠の中を疾走する。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカーが砂漠の中を疾走する。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカー。後方にはジャン=ピエール・ジョソーとジャン・ダ・シルバのチームが駆る別の280GE(ゼッケン番号143)。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカー。夜間停車場での整備ショット。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールの280GEラリーカー。荷室の詳細ショット。
1983年パリ・ダカール・ラリー:トラック部門優勝者であるジョルジュ・グロイン、ティエリー・ド・ソーリュー、ベルナール・マルフェリオール組が運転する1936 AK四輪駆動トラック。
1983年パリ・ダカール・ラリー:ジャッキー・イクスとクロード・ブラッスールが駆った280GEラリーカー(ゼッケン番号142)。

1983年パリ・ダカール・ラリー優勝の軌跡

1983年1月、世界で最も過酷なモータースポーツと称されたパリ・ダカール・ラリーにおいて、メルセデス・ベンツは歴史的な勝利を収めた。ステアリングを握ったのは伝説的レーシングドライバーのジャッキー・イクス。コ・ドライバーには俳優としても知られるクロード・ブラッスールが名を連ねた。彼らが駆ったのは、質実剛健なクロスカントリービークルであるメルセデス・ベンツ280GEである。

【画像9枚】砂漠を疾走する雄姿! 1983年パリ・ダカを制した「メルセデス・ベンツ280GE」の激闘を写真で振り返る

この勝利は単なる一競技の結果に留まらない。Gクラスという存在が持つ本質、すなわち「極限環境における信頼性」と「実用性に裏打ちされた技術」を世界に知らしめた象徴的な出来事であった。今回は空力・耐久・人間力が結実した勝利である、このメルセデス・ベンツGクラス伝説の原点を紐解いてみよう。

地図なき12000kmの闘い。1983年パリ・ダカの過酷な現実

1978年に始まったパリ・ダカール・ラリーは、単なるレースではなく「冒険」そのものだった。創設者であるティエリー・サビーヌ(元自動車・バイクレーサー)の理念は、未知の大地に挑む精神を競技として昇華することにあった。1983年大会はその第5回目にあたり、フランス・パリのコンコルド広場を1月1日早朝にスタートし、アルジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボワール、マリ、モーリタニアを経てセネガルのダカールに至る約1万2000kmのルートが設定された。サハラ砂漠南部のテネレ地帯やニジェール北部などの砂漠地帯、地図すら頼りにならない未開のエリアを走破する過酷な約20日間のステージであった。

ナビゲーション機器は現在のようなGPS(人工衛星を使って現在地を正確に割り出すシステム)など存在せず、主にコンパスとロードブックのみ。方向を見失えば、数時間どころか数日間砂漠をさまようことも珍しくなかった。1983年大会には193台の乗用車、バギー、トラック、そして111台のオートバイが参加したが、ゴールラインに達したのは乗用車とトラックが61台、オートバイが28台となり、多数の脱落者が出た。車両トラブル、事故、さらには疲労によるリタイア。このラリーでは「完走すること」自体が勝利に匹敵する価値を持っていた。

パワーではなく「絶対的信頼」。市販車ベースを磨き上げた知将たち

ベースとなった280GEは、1979年に登場したW460型Gクラスである。本来は軍用や業務用として設計されたモデルであり、その堅牢なラダーフレームと前後リジッドアクスルは、悪路走破性において圧倒的な強みを持っていた。

この市販車ベースの車両をラリー仕様へと仕立て上げたのが、メルセデス・ベンツ・フランスとドイツ本社の技術陣であった。エンジン開発を担当したゲオルグ・ベルクマンは、直列6気筒DOHCのM110ユニットに改良を加え、280SL/R107のパフォーマンス向上用に設計されたカムシャフトを利用し、最高出力を約197psにまで引き上げた。

だが、このプロジェクトの本質は「パワー競争」ではない。むしろ信頼性の確保こそが最優先課題だった。砂塵対策として吸気口を車内へ移設し、燃料品質のばらつきに対応するため点火時期を即座に調整可能とするなど、現場での対応力を重視した設計が随所に施された。

さらに興味深いのは、マニュアルトランスミッションの冷却にW123ステーションワゴンのレベル制御油圧ポンプを流用するなど、既存技術を柔軟に応用している点であった。こうした「現実的かつ合理的」な工夫の積み重ねこそが、過酷な環境での完走、そして勝利へとつながった。

オフローダーの常識を覆す。真四角なボディに施された空力開発

Gクラスのようなオフローダーにとって、空力性能は本来、優先順位の低い要素である。しかし1983年のパリ・ダカール・ラリーへの挑戦では、この常識が覆された。さまざまなレーシングスポーツカーやC111-IVの空力開発を担当したリュディガー・ファウルは、極めて実践的な手法でボディ形状を改良した。

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フォト=メルセデス・ベンツAG

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