Roundup 13:3年間 The 3 Years
トライファイブ・シボレーほど、すでに知っているという気分が理解を妨げるアメリカ車もない。
トライファイブという名を、アメリカ車に関心のある読者なら一度は耳にしたことがあるだろう。1955年式から1957年式までのシボレーをまとめて呼ぶ名であり、戦後のアメリカ車を語るうえで避けては通れない存在であり、それは大いに売れ、そのプラモデルもまた長く売れ続けてきた。ここまではさほど難しい話ではない。
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戦争の影をぬぐい落として
ところが、そこから先が難しい。トライファイブはなぜこの3年なのか。トライファイブはなぜそんなに売れたのか。このふたつの問いに即答できる者は案外多くない。
ましてや、1955年式の何がそれほど新しかったのか、1957年式が最終年式であることを越えて1950年代を象徴するアイコンとされるのはなぜか、そして、1956年式がその谷間でややぼんやりしてしまうのはなぜか——さらにはトライファイブのプラモデルが、これほどまでに多く売れ続けるのはどうしてなのか、明快に答えるのは難しい。
伝え聞くトライファイブのすごさと、それに頷くことのあいだには、どうも気まずい距離がある。アメリカンカープラモ・クロニクルは今回、そんな関係の行き詰まりから出発しようと思う。

1970年に初めてキット化されたこのトライファイブ前夜のシボレー2ドアポストセダンは、デイブ・ディール風の箱絵が示すとおり、大胆な改造の可能性によってファンに支持された。本稿が「戦争の影」と呼んだリアフェンダーはあらかじめ切り欠かれて、車体を高く持ち上げる足まわりをよく見せようとする。ここでの’54シェビーはあくまで「素材」に過ぎない。同時期に発売された’53シェビー・パネルバンも同様で、両者はさまざまなカスタマイズパーツを含むクロームツリーを共有している。
トライファイブ誕生前夜は、二重の「戦後」だった。第二次世界大戦と朝鮮戦争である。アメリカはふたつの戦争を事実上の当事者として戦っており、前者を「太平洋戦争」、後者を「戦後特需」として経験したここ日本の感覚とは、まず大きく異なっている。
朝鮮戦争の軍事需要に、デトロイトは先の大戦と同じく兵器工廠として参加、同時に本業である民生用自動車の生産制限(鉄鋼・銅・アルミニウムなど統制資材の制限による)を受け容れた。つまり1950年9月から1951年7月にかけてはじまり、1953年3月に制限が解除されるまで、少なくともアメリカ自動車産業は「戦時中」だったのである。
1949年に先んじてフォードが達成したフェンダーの張り出しをもたない「世界大戦後の車」らしいスタイリングは、この新たな戦時体制の影響によって、シボレーが追いつきたくても一歩届かない「背中」としてしばし固定されてしまった。1954年式までシボレーの身体に長らく残ったリアフェンダーの膨らみは、終わらない戦争の影でもあった。
スリフトマスター(倹約の達人)からの脱却
シボレーは長きにわたり、倹約のメーカーであった。
同じGMグループ内に築かれたキャデラックを頂点とする階層構造は、シボレーに上位ブランドが担うべき余裕や威光を負わせることはなかった。シボレーを走らせるエンジンはずっと直列6気筒、通称「ストーブボルト6」のみであり、客もまたパワーや豪華さといった「より多く」をシボレーに求めることはお門違いであると理解していた。限られた予算のなかで、いちばん安いスペシャルを選ぶか、少し贅沢をしてデラックスを買うか、奮発してベルエアを買うかは、おおむね2,000ドルに収まる悩ましさだった。
フォードがいわゆるシューボックス・フォードによっていち早く未来を先取りした1949年、GMはいわば「未来の前借り」と呼ぶべき夢のショーをアメリカに仕掛けていた。トランスポーテーション・アンリミテッド・オートラマ、続く1950年にはミッドセンチュリー・モトラマと呼ばれるようになる祭典のはしりである。
これはフォードよりもはっきりと分厚い階層構造を擁するGMならではの、アメリカ自動車文化の「未来」の提示であった。キャデラックが用意したショーカーの群れを筆頭に、5部門32台に及ぶぴかぴかのGMカーがニューヨーク・ウォルドルフ=アストリアに結集、ホイール・オブ・ファッションと名付けられたターンテーブル式ステージでは20名ものスターが華やかなショーを務め、それと対をなすコラム・オブ・スターズを名乗る高さ26フィートの塔の裾ではキャデラックの新型OHV V8をはじめとするGMエンジンの数々が展示されて、来たるべき「高圧縮の時代」を高らかに謳い上げていた。
GMというひとつの企業体の構想に過ぎないものが、アメリカ自動車文化全体の未来予想図として提示され、そこにあるものがひょっとしたら遠くない将来、われわれの手に入るかもしれない——こうした予感が、のちにあらわれた1955年式シボレーの起爆剤となった。
1955年、シボレーは晴れて全面的な刷新を果たしたニューモデルを「モトラミック・シボレー」と呼んだ。

モノグラムほどトライファイブ・シボレーを看板メニューにしようとし続けたプラモデルメーカーはない。1/24スケールというアメリカでは孤立したスケールへの自負か、1970年代にも、1990年代にもまっさらの新作があるのは驚くべきことである。ご覧のみごとな作例は、1995年の新作 ’55コンバーチブルである(制作:周東光広)。
一見すると循環参照にも思えるこの表現は、じつに巧妙に練り上げられていた。モトラマをきらびやかに彩り、未来を指差してみせたのは、主にキャデラックをはじめとする上位ブランドのイメージ、つまりシボレーのイメージではなかった。モトラミック・シボレーとはすなわち「シボレーなのにモトラマそのもの」であると言うに等しかった。
その証拠に、モトラミック・シボレーには長年の慣例を破る265立方インチのOHV V8エンジンが用意されていた。現在に到るまでスモールブロック・シボレーと呼ばれることになるV8エンジンのはじめの一歩であるが、これが当時2,000ドル以下のやりくりに心悩ませてきたアメリカ大衆の胸を衝き動かした。そう、これはまるでキャデラックみたいじゃないか——
1955年の夏はことさら猛暑だったといくつもの本が記録しているが、それをものともせず連日シボレー・ショールームに詰めかける顧客に対し、セールスマンたちがいつも以上に熱弁を振るったことは想像に難くない。
長らくお待たせしましたが、新しいシボレーはV8エンジンをお選びいただけるのです、余裕が違います、せっかくV8をお選びいただけるなら、あと少し奮発して、ご家族のためにこの夏を気持ちよく乗り切るエアコンをお付けになってはいかがですか、快適ですよ、ええシボレーです、これはシボレーのお話なのです。
シボレーはこのとき、過去の「倹約シボレー」が用いていたスペシャル(最廉価)、デラックス(中堅)の少々慰撫的な呼称をショールームから退場させていた。スペシャルは150(ワン・フィフティー)、デラックスは210(トゥー・テン)と明確に改称され、最上級のベルエアだけがそのまま残された。ここにははっきりとした作為があるが、その狙いがどこにあったかは1955年式シボレーの生産台数170万台超のうち、じつに77万台(約45パーセント)がベルエアだったことが如実に示している。
トライファイブの売上は漸減していったと多くのデトロイト史は記録しているが、これはいかに多くの顧客が初年度に新しいシボレーを選んだかの証左でもある。富豪のスポーツカー道楽ならいざ知らず、毎年更新されるシボレーを都度買い求める顧客はそうそういるものではない。さまざまな理由から1955年に購入を見送った顧客が、翌年、さらに翌年、やっぱりシボレーを買い求めたのだと仮定すれば、1956年式の157万台、1957年式の151万台は驚異というほかはない。

amtとMPCといったデトロイトのプラモデルメーカーは、案外トライファイブのキット化に消極的だ。ご覧の作例のベースキットとなった’55ベルエア2ドアセダンの登場は遅く1989年のことで、それまでamtは象徴的な’57ベルエア・ハードトップと’55ノマド・ステーションワゴンの2本立てをもってトライファイブは事足れりとしてきた。作例はその「遅れてきたキット」を4ドアセダン化、グレードも150化したたいへんな力作である(制作:秦正史)。
テールフィンから現れるもの
シボレーは1956年式において、前年に多くの顧客を動かした魅力をさらに洗練させ、強調する工夫を組み込んだ。過去にキャデラックが巧妙にその身体に組み込んでみせた隠し給油口である。
テールランプを取り巻くクロームの装飾トリムの1箇所がつまみになっており、それを時計回りにひねることでトリムが手前に傾いて、給油口があらわれる。従来ならばキャデラックのオーナーしか味わえなかったこの愉悦は、1956年式シボレーを選んだオーナーにたいへん気分のいいふるまいを許す仕掛けだった。
想像してみてほしい。ガスステーションの若く不慣れなサービスマンをよそに、オーナー自ら、慣れた手つきでリアトリムを傾ける。ここで偉ぶることなく自分で給油を済ませ、あっけにとられるサービスマンにほんの数セントでもチップをはずむことができたなら、そのドライブはさぞ羨望と祝福に満ちたものになったことだろう。このささやかな仕掛けをめぐる所作は、当時シボレーがわざわざフィルムに記録しているほどである(キャプチャーした写真を今回用意したのでぜひご覧いただきたい)。
1957年式シボレーが、ふたことめにはテールフィンに言及されるフィフティーズ・アメリカンカーのアイコンとなったことはすでに多くの読者が周知だろう。しかし、現在トライファイブと呼んでいる車が当時モトラミック・シボレーと公式に呼ばれ、それが具体的にどのように形作られたのかをある程度把握したいま、この年のシボレーに奇妙な逆転が起きていることにお気づきの読者もいるのではないか。
まるでジェット機の垂直尾翼のようだと形容されて久しい巨大なテールフィンは、その例示として1959年式キャデラックを立てる傾向にあるが、検討の範囲をGM内部に絞ったとき、明らかにキャデラックに先行するのは1957年式シボレーである。
これはもちろんテールフィンという意匠の初出をめぐる話ではない。車のリアクォーター全体を支配するほどの記号の過剰化を、シボレーはひと足早く路上の多数性へと解き放ち、それが151万台に及ぶ支持を取り付けてしまった、ということである。動かし難い事実として、かくも大きな「垂直尾翼」を備えたままこれほど普及した車は他に見当たらないのだ。

1957年、いよいよトライファイブの3年目を迎えたシボレーは、誇張気味ともいえる華やかな象徴性をさらにアメリカ中に散りばめようとしたが、そうしようとすればするほど、ライバルであるフォードを意識せざるを得なくなった。オプションのコンチネンタルキットは’57独自の装備ではないが、ときに覇権を競う武器ともなるクジャクの尾羽根がよく似合うのは、やはり’57だろう(制作:ダッズ松本)。
間に合わなかったことの恩恵
われわれが現在アメリカンカープラモと呼ぶ模型の制度化は1958年、SMPとamtが協働して立ち上げたアニュアルキットにはじまる。フォードのエドセル計画と不可分に結びついたそのプロジェクトは、トライファイブの時代に僅差で間に合わなかった。
デトロイトの内部情報に深く食い込み、強い守秘義務と潜行する開発をともなって、その年の新車と同時に市場へ出回る1/25スケールの組立式キットになれなかったトライファイブ・シボレーは、1963年を迎えてようやくamtの手でキット化を果たすことになった。
1957年式ベルエアからはじまったトライファイブのプラモデルは、タイトなスケジューリングと不可分のアニュアルキットとは異なった余裕のある設計で実車さながらのヒットを記録したが、その売上高を支えたのは、販売期間が1年に限定されるアニュアルキットにはない、売れれば売れただけ増産できるという「古いテーマ」ならではの自由度だった。
また秘匿すべき情報を取り扱う必要がないため、製品化ライセンスは排他的になることがなく、たとえばレベルのような非デトロイトの模型メーカーにも「叩けば開かれる」門戸が用意された。
とりわけ早かったのは、1963年頃には市場に出回ったとされるレベルのパーツパック——ビルダーがそれぞれ好みのホットロッドを組み上げるのに重宝するエンジンやホイール、フレームやボディーのキットで、この第1弾には総クローム仕上げが施された283立方インチのスモールブロック・シボレーV8が選ばれた。
同時に1957年式シボレー自体もレベルからキット化されており、いってみればこれはシボレー顔負けの「クレート売りエンジン」だったわけである。
1955年の265がスモールブロック・シボレーの「誕生」ならば、283はスモールブロック・シボレーの「神話」である——283立方インチ/283馬力、すなわち1立方インチあたり1馬力の明快さは標語化すらされたが、このエンジンの存在は1957年式シボレーをテールフィンに負けじとアメリカへ印象づけた。
これはけっして穿ち過ぎではない。後知恵がどれだけ300馬力に届かないことを揶揄しようと、アメリカのあらゆる場にあふれ、中古で安く手に入れられるこのエンジンが、どれほど多くの若きホットロッダーを——もっといえば、たった69セントで買えるこのエンジンの模型が、どれほど多くのワナビーを育てたことだろう。

’56シボレーのプラモデルには、ひとつ際立った特長がある。トライファイブ期のシボレーにとってクラブクーペに相当する仕様であるデルレイがキット化されているのだ。外装はミッドレンジの210・2ドアポストセダンに過ぎないが、内装に色鮮やかで手入れのしやすい特別な総ヴァイナル仕上げが施されているモデルである。いうなれば「安心してコーヒーがこぼせる」デルレイが、’56に限って独立した製品になっているのだ。
トライファイブのプラモデルはこれまでも、おそらくこれからも、たった3年のあいだに打ち立てられたアメリカの充足の物語を再演する。1960年代、1970年代、80年代、90年代、21世紀、それぞれに趣向を凝らした新しいトライファイブのキットが生み出されてきた。
それらはときに改造車であり、ドラッグレーサーであり、スナップキットであり、超精密スケールモデルであって、ビルダーの手が都度そこに介入しては、さらなる拡張を続けている。誰かがトライファイブに飽きても、誰かがどこかできっとトライファイブを目に留める。誰ひとり示し合わせることのない、これはひどく幸福な充足の連鎖である。
※今回、mpc 1/25「’57シェビー」、レベル1/25「’54シェビー・ハイボーイ」、「’55シェビー・ストリートマシーン“アメリカン・グラフィティ”」、モノグラム1/24「バッドマン 1955シェビー」、「1955シボレー・カスタマイジングキット」、「スーパーチャージド’56シェビー」、「’56シェビー・カスタム」の画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。
また、レベル1/25パーツパック「カスタムカー・パーツ」の画像は、読者のグリースモンチッチさんから提供いただきました。
ありがとうございました。









































































































