フィアット

“未来から来た”と話題になったクルマ、「フィアット ウーノ」は1983年デビュー!

5年の歳月をかけて研究・設計され、約1兆リラの予算が投じられた「ウーノ」は、フィアットが最も投資したクルマ

「フィアット ウーノ」の広告キャンペーン「rivoluzionosa」のストーリーを紹介したのち、ヘリテージ部門である「ヘリテージ・ステランティス」のチームは、40年前に誕生したこのフィアットのアイコンが、デザインと生産に適用された技術革新という点でいかに特別であるかを明らかにする第2弾のビデオを発表した。

ヘリテージ・ステランティス(アルファロメオ、フィアット、ランチア、アバルト)の責任者であるロベルト・ジョリート氏が、チェントロ・ストリコ・フィアットの画像とヘリテージ・ハブに保存されている記念品を使って視聴者をこの旅へと誘う。フィアット ウーノの40年の歴史に共通するのは、技術革新だ。1983年1月19日、宇宙征服を象徴する米国の都市ケープ・カナベラルで、国際報道陣の前で華々しくデビューしたことがその証だ。それは、シティカーのパラダイムを再定義し、イタリアンブランドの歴史を変えることを運命づけられたモデルにとって、完璧な舞台であった。

フィアット ウーノは生産工程におけるロボットの活用、「チェントロ・スティーレ」とエンジニアリングの新しい実りある関係、そして今日「Functional Design」と呼ばれるデザインの確立など、さまざまな初体験の達成により、自動車業界を大きく変える存在となった。そのすべてが、このセグメントで最も革新的なモデルに期待される、最高レベルの品質を得るために設計されたものだ。

品質が飛躍的に向上したのは、多額の資金を投入したおかげでもある。実際、5年の歳月をかけて研究・設計され、約1兆リラの予算が投入されたこのモデルは、それまでフィアットがクルマに対して行った投資の中で最も大きなものであった。

ロベルト・ジョリート氏は「ウノは完全に革新的なプロジェクトでした。まずボディは先代の127台とは異なり、ロボット溶接で作るように設計されていました。同じドアでも少ない部品で組み立てられ、新しいテールゲートも、以前は欠陥と認識されていた溶接線がなくなり、今ではサイドの特徴的なデザインになっています」と話す。

【写真20枚】1983年に華々しくデビューした、「ウーノ」 

ファクトリーオートメーションの先陣を切るロボゲート
フィアット ウーノでは、生産に関する新しいコンセプトが形作られ、より柔軟性の高い統合工場へと導かれた。この産業哲学の基礎となったのが、フィアットグループの自動化におけるリーディングカンパニーであるトリノに本拠地を置く「コマウ社」が設計した、車体の組み立てのための高度な生産システムであるロボゲートであり、車体の各パーツを正確にスポット溶接するシステムを主体としていた。

1978年、リヴァルタ工場でのリトモの生産でデビューしたが、すぐにミラフィオーリ工場やカッシーノ工場も使われるようになった。フィアット ウーノはこのシステムを利用し、組み立て、溶接、塗装の各工程で数十台のロボットを活用し、生産の均一性と品質を大幅に向上させることに成功したという。ウーノプロジェクトにおける投資全体の大半は、工場の自動化に費やされた。毎日、機械式アームやリフト、ゲートが華麗な「ダンス」を繰り広げ、そのタイミングや工程はコンピューターで管理された。

「フィアット ウーノは、製造革命の一部であるだけでなく、自動車の構想、開発、生産のあり方そのものを変えた。CADの設計デスクから工場に至るまで、すべてが連続体の一部となり、単一のシステムで管理されるようになったのです。今日、専用のネットワークやハードウェアが工場のさまざまな場所をつないでいるとすれば、明日は『モノのインターネット』というコンセプトが、これらの機械の間を支配し、対話を生み出し、可能な限りの柔軟性を実現することになるでしょう。これにより、最も効率的で持続可能な方法で、あらゆる大陸や文化圏の自動車を作ることができるようになります」とジョリート氏は述べる。

グルッポ・フィアットの技術的宝庫、FIREエンジン
イタリア南部のテルモリに、第3の近未来的な工場にもロボットが入り、1985年、ウーノと密接な関係を持つ新型FIREモーターを製造するために特別に作られた。35年間、2,300万台以上生産されたこのイタリアン・エンジニアリングの逸品を搭載した最初のクルマがウーノだったというわけだ。

その名は、Fully Integrated Robotized Engineの頭文字をとったもので、ロボゲートシステムという革新的な手法で作られたものであることを意味している。フィアットの全車に搭載されていた従来のエンジンに比べ、小型軽量化(69kg)、設計思想のシンプル化(95部品削減)、最新化(ロッド&ロッカー方式からオーバーヘッドカムシャフト方式へ)、信頼性向上、組み立ての簡素化が図られた。つまり長期的なプロジェクトであり、信頼性と品質の代名詞となるようなエンジン工学が採用されたのだ。

エンジニアリングとチェントロ・スティーレ
フィアット ウーノの登場により、自動車の設計方法も大きく変わり、製図台はCADステーションに取って代わられた。コンピュータ支援による設計は、人為的なミスがつきものであった手作業による設計を、精度を上げて公差をゼロにすることを可能にした。また、「チェントロ・スティーレ」と「エンジニアリング」の関係も変わり、より密接な協力関係を築き、デザインと機能、美しさと合理性を両立させる解決策を模索するようになった。

この頃、自動車グループのレベルでも、ほかのブランドのクルマにも使われる共通部品やモジュール部品を誇らしげに披露していた、情報管理におおらかな時代である。さらに80年代初頭、フィアットのチェントロ・スティーレは、グループ各ブランドのスタイルコーディネートにより、マルチブランドのデザインスタジオとなり、より大きな技術管理(今日でいうエンジニアリングマネジメント)の役割を担うようになった。

また、フィアット ウーノのデザインを担当したジョルジェット・ジウジアーロのイタルデザインや、ベルトーネ、ピニンファリーナ、そして設立間もないイデア研究所など、当時のボディショップともノンストップで対話を重ね、革新的なアイデアの温床となったという。

ファンクショナルデザインの概念の誕生
フィアット ウーノは、このセグメントにおけるヨーロッパのトレンドに先駆け、フロントガラスをよりフロント寄りにした「シングルボリューム」的なボディを提案した。さらに、ボンネットの傾斜を大きくすることで、フロントウインドウとボンネットを一体化させた。リヤウインドウは完全にフラッシュ化され、ドア上の雨樋は初めて廃止に。

ルーフとサイドの溶接は、工場ロボットのおかげで、有名な「サスペンダー」を使って行われた。これによって乗降性が向上し、乗り降りが容易になった。さらに、運転席を数センチ上げるだけで、圧倒的なロードコントロールと操縦性を実現したのだ。

フィアット ウーノは、ほぼ即座に成功を収めた。1984年の「カー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるほど、市場や専門家から愛されることになる。5人乗りの広いキャビンと、テールゲートから簡単にアクセスできる広々としたトランクがその主な強みであった。

また、ダッシュボードが斬新で、インストルメントパネルのサイドにある2つのノブで、ほとんどの操作が可能だったことも評価された。ターンシグナルだけはステアリングホイールの後ろにある従来のスイッチを使い、クライメートコントロールは中央の低い位置、エアベントの下に配置されていた。また、フロントガラスのワイパーは中央に1本だけ設置され、間欠運転や様々なスピードに対応できるようになっている。

最後にロベルト・ジョリート氏は、「フィアット ウーノは、多くの競合他社が模倣し、製品導入の道を開いた原型なのです」とも話した。フィアットはこのセグメントで明確なリーダーであり続け、電子制御インジェクション・ターボ仕様がコンパクトかつスポーティなハッチバックの地平を切り開くことになった一台なのだ。

LE VOLANT web編集部

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