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蘇る黄金期の熱量。マセラティ・クラシケ、フェラーリ打倒を誓った1957年型「200S」を認定

打倒フェラーリを誓った幻の傑作

マセラティは2026年5月14日、1950年代の2シーターレーシングカー「マセラティ200S」の1台に対し、自社のクラシックカー認定プログラムを通じて「真正証明書(Certificate of Authenticity)」を授与したと発表した。

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継承されるヘリテージとレガシー

今回認定を受けたのは、1957年型マセラティ200S(シャシーナンバー2406-タイプ52)である。200Sは、1955年から1957年にかけて製造され、国際モータースポーツの一時代を築いたモデルであり、赤いカラーリングとアルミニウム製ボディを持つ2シーター仕様の生産台数30台のうちの1台に該当する。

2021年にモデナで立ち上げられた「マセラティ・クラシケ」は、マセラティの歴史的な車両の保存と価値向上を支援するプログラムだ。現在は、技術的専門知識とモデナの職人技を通じてブランドの遺産を保護するプロジェクト「BOTTEGAFUORISERIE」の一部として位置づけられている。

オフィチーネ・クラシケが歴史的モデルの修復と認定を監督するほか、モデナのマセラティ・ウンベルト・パニーニ・コレクションのようなアーカイブやミュージアムスペースの支援を通じて、ブランドのヘリテージを継承する取り組みを行っており、同プログラム「マセラティ・クラシケ」がこれまでに発行した認定書は、すでに100件を超えているのである。

このプログラムの中核ともいえる「真正証明書」は、専門家委員会が技術仕様、歴史的文書、およびアーカイブを綿密に分析して各車両を調査し、付与される。対象は、製造から20年以上経過した車両、ブランドの特別モデルおよび限定シリーズである。記念すべき認定100台目は数週間前、第1回アナンタラ・コンコルソ・ローマに参加したシャシーナンバー101505の「3500 GT コンバーチブル・ヴィニャーレ・プロトタイプ」であった。

同プログラムは今後、2026年6月9日から13日にかけて開催される「ミッレミリア2026」にも参加し、イタリアの美しい景観や世界遺産を巡る予定となっている。

200Sの系譜とレースでの足跡、そしてこの1台

それでは、今回認定を受けた1台、そしてマセラティ200Sについて解説していこう。1950年代初頭、フェラーリ「500モンディアル」の台頭により傑作「A6GCS」でさえも時代遅れとなりつつある状況下で、マセラティは競合への対応を迫られていた。その解決策として、1952年からフォーミュラ2向けに開発されていた4CF2エンジンをベースにプロジェクトが始動、開発されたのが200Sである。

ド・ディオン式レイアウトとリジッドアクスルの2つのシャシーバリエーションが構想され、その後の10年間にわたり同社の主軸となる開発が進められた。そのプロセスにおいて、ロッカーアーム駆動のDOHC、ツインイグニッション、2基のウェーバー・キャブレターを備えた2L軽合金製エンジンは、並行して開発されていた「150S」由来のシャシーに搭載された。

テストの結果、ド・ディオン方式よりも安全性が高いと判断されたA6GCS由来のリジッドリアアクスルを採用。4速または5速のシンクロメッシュ・ギアボックスとリミテッドスリップディファレンシャルを組み合わせ、ドライバビリティを損なうことなく高出力を扱えるパッケージが完成した。

200Sのデビュー戦は1956年6月24日のトロフェオ・スーパーコルテマッジョーレであり、シャシーナンバー2403、2404、2405の3台が、それぞれ異なる流線型のボディワークで参戦した。デビュー戦は練習走行での車両損傷やフェラーリ・テスタロッサへの敗北など不本意な結果に終わったものの、コース上で示されたポテンシャルが技術陣にシリーズ生産を決断させるに至った。

生産にあたり、リジッドアクスル仕様は初期の3台のみに限定され、以降の車両にはジルコ(Gilco)製の鋼管スペースフレームを採用。また、コーチビルダーもフィアンドリからファントゥッツィへと変更されている。

レースではすぐに真価を発揮し、ジャン・ベーラの操縦によりバリ・グランプリで速さを見せ、カステルフザーノやカラカス(シャシー2401)で勝利を収めた。また、ジョルジオ・スカルラッティが1957年のジロ・ディ・シチリアで優勝し、200Sとしての最後の公式ミッションを飾った。

一方で、名車A6GCSとの比較は免れず、限界まで性能を引き出すにはアマチュアドライバーには困難なほどの繊細な操縦性が求められる、という課題も抱えていた。

しかし200Sの技術的な系譜はその後も続く。1957年のブエノスアイレス1000kmレースの練習走行では、同ブロックから派生した2.5Lエンジン搭載の「ティーポ250S」が登場。このエンジンは数年後、クーパー製シャシーのリアミッドに搭載されることとなる。エンジニアであるベッレンターニの技術コンサルティングを受けたスクーデリア・チェントロ・スッドや、1960年からのスクーデリア・セレニッシマがこれを採用した。

グランプリ仕様のクーパー・マセラティは苦戦を強いられたものの、スポーツカーバージョンの「クーパー・モナコ」は、イギリスのロイ・サルヴァドーリやイタリアのコリン・デイヴィス、ニノ・ヴァッカレッラ、ジャンニ・バルザリーニらのドライブにより、数々の成功を収めたのである。

さて、今回認定された200Sには、同社の歴史に深く関わる人物のエピソードが存在する。1980年代にこの車両を再発見し、修復を手がけたのは、真の「マセラティの歴史の記憶」と称されるエルマンノ・コッツァ氏であった。

1933年生まれの同氏は、1951年にオフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティに入社。メカニックから始まり、実験部門や技術オフィスで経験を積み、後にマセラティ歴史アーカイブの創設に貢献した。75年以上にわたり同社に貢献してきたコッツァ氏は現在でも定期的にモデナ本社を訪れており、今回の200Sの認定プロセスにおいてもチームをサポートしたという。

【ル・ボラン編集部より】

アマチュアを拒絶するほどの繊細な操縦性。それは単なる欠点ではなく、打倒フェラーリという悲願が生んだ純度の高さの証である。当時のマセラティは、扱いやすさという妥協を捨ててでも極限の速さを追求する設計思想を選び抜いた。現代のグラントゥーリズモが備える「ドライバーを満たす包容力」や「しなやかな妙味」も、こうした限界を極めた歴史的系譜の土台の上にこそ成り立っている。最新のイタリアンGTに息づく高貴なクラフトマンシップの源流に、この200Sが放つ荒ぶる血と圧倒的な熱量を感じずにはいられない。

【画像13枚】伝説の職人が蘇らせたマセラティ「200S」が放つ、1950年代の圧倒的熱量を目撃!

※この記事は、一部でAI(人工知能)を資料の翻訳・整理、および作文の補助として活用し、当編集部が独自の視点と経験に基づき加筆・修正したものです。最終的な編集責任は当編集部にあります。
LE VOLANT web編集部

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