いかにも北海道らしいスケールの大きな峠道
札幌を起点に道東エリアへと延びる国道274号は、北海道の東西を結ぶ幹線道路のひとつ。道内では最長、国内でも11番目に長い365.8㎞の総延長をもつ国道だ。その途中にある日勝峠は、いかにも北海道らしいスケールの大きな峠越えを味わえる道。およそ55㎞の道のりで、大いなる山塊・日高山脈をゆったりと越えていく。
「蝦夷地」が「北海道」と命名されたのは明治2年(1896年)のことだった。
そもそも北海道の「道」とは、日本古代の律令制度、五畿七道にちなむもの。東海道や北陸道、山陽道や南海道などと同じように、いくつかの国々をまとめた広域の呼び名である。明治維新直後、北海道は渡おしま島、後しりべし志、胆いぶり振、石狩、天塩、北見、日高、十勝、釧路、根室、千島という11国に分けられたため、2年後の廃藩置県でも「県」にはならなかったのだ。
国道274号・日勝峠は日高と十勝の境に位置することから、この名がある。峠の名前としては少々味気ないけれど、天北峠、狩勝峠……といった具合に、道内の主要な峠には隣り合う旧国名の頭文字を並べた名前が多い。
国道274号を西麓の日高町側から走っていくと、道は沙さる 流川に沿って少しずつ標高を上げていく。周囲はエゾマツの原生林。『石勝樹海ロード』という愛称のとおり、深い森を抜けていく気持ちいいワインディングロードだ。
七合目(標高755m)の看板を過ぎると勾配とカーブは少しきつくなり、やがて峠のトンネルが現れる。そして、このトンネルを抜けた途端、あたりは一転して視界が開け、眼下に十勝の大平原が見えてくる。
北海道全面積の約10%を占める十勝平野では、畑作や酪農が盛んで、ふだんの日勝峠からは、大地にパッチワーク模様を描いたような美しい田園風景が広がる。ところが、この日は平原一帯に濃い霧が立ちこめ、それが大平原を覆いつくす雲海と化していた。思わず息を呑む絶景だった。
日勝峠は日高と十勝の国境というだけでなく、道央と道東という大きなエリアの境目にもなっている。そのため峠のこちらと向こうとでは、風景ばかりでなく、天候までがらりと変わることがある。
この日も日高側から日勝峠までは気持ち良く晴れわたっていたのに、まるで雲海の中へ飛び込むように清水町まで下りきると、あたりはすっぽりと濃霧に包まれてしまい、お日様は一日じゅう顔を出すことがなかった。
開通まで80年を要した日高山脈越えの峠道
「いまじゃ道路改良が進んだし、道東自動車道も開通したから、ずいぶん楽になったけど、昔の日勝峠越えはホントに大変だったよ。特に冬場は危ないから、日高町まで行くのに60 ㎞も遠回りして、標高が400mほど低い狩勝峠を抜けていくこともあったんだ」
清水町のドライブインのご主人はこんな話を聞かせてくれた。
そもそも江戸時代まで、北海道には人や物が自由に行き来できる道がなかったため、未開地の開拓には、まず道を切り拓くことが不可欠だった。そんな状況のなか、開発の成果が上がらないことに業を煮やした明治政府が導入したのが、囚人による道路の建設である。旭川や網走、釧路といった未開の原野に集治館(刑務所)が建てられ、囚人たちを酷使して道路が作られていったのだ。
こうした『囚人道路』のなかでも特に悪名高かったのが、大雪山の北を抜けて旭川と網走を結ぶ中央横断道路、現在の国道333号・北見峠越えである。明治24 年(1891年)、5月から年末までの突貫工事で開削された160㎞の道には、1000人あまりの囚人が動員され、そのうち212人が命を落としたと伝わる。
一方、道庁の置かれた札幌から道東エリアへ向かう道路の建設はこれよりさらに遅れる。大きな障害となっていたのは、北海道の中央部から南の襟裳岬へと連なる日高山脈の険しい山なみだった。
南北150㎞にわたって連なる山並みの北端に、狩勝峠の道が開通したのは昭和6年(1931年)のこと。そして、昭和30年代には狩勝峠の20㎞ほど南で道路建設がはじまり、昭和40年(1965年)になってようやく日高・十勝間の道路が全面開通する。
日高山脈を越える道路の建設調査が始まったのは明治14年(1881年)。それから日勝峠の開通までには80年あまりの歳月を要したことになる。
現在も日勝峠より南で日高山脈を越える道は、襟裳岬の北50㎞どのところを抜けていく国道236号・野塚トンネルのみ。また、海岸線を襟裳岬に向かう国道336号の建設は、山が波打ち際まで迫る険しい地形に阻まれ、「道路に黄金を敷きつめるほど費用がかかる難工事」だったといわれる。広尾町からえりも町までの約30㎞の区間が『黄金道路』と呼ばれるのは、このことに由来している。

平取(びらとり)町の二風谷(にぶたに)地区にあるコタン再現ゾーン。アイヌの伝統的生活空間を忠実に復元したもので、刺繍や彫刻、古式舞踊や古老による語りなどを見学することができる。近くには平取町立二風谷アイヌ文化博物館(入館料400円)などもある。
日高山脈の主峰、標高2052mの幌尻岳はアイヌの言葉で「大きな(ポロ)」「山(シリ)」を意味する。この大いなる山塊は今も人やクルマの行き来を阻み続けているのである。
日勝峠3Dマップ
◎所在地 北海道日高町/清水町 ◎ルート 国道274号 ◎標高 1023m ◎区間距離 54㎞(日高町〜清水町) ◎高低差 841m ◎冬季閉鎖 なし
【A】星野リゾート トマム(ほしのりぞーと とまむ)
早起きして雲海を見よう
日勝峠の北側、道東道・トマムICのすぐ近くにあるリゾート施設。スキーシーズンだけでなく、1年を通じて楽しめるアウトドア施設が充実しており、なかでもゴンドラで登る雲海テラスが人気。
●1泊朝食付12,500円〜/占冠村字中トマム/TEL 0167-58-1111
【B】古母里(こぼり)
駅牛玉ステーキ丼が味わえる
十勝清水のご当地メニューとして人気の牛玉ステーキ丼(980円)が味わえるドライブイン。特製味噌で仕上げた十勝若牛のサイコロステーキとスクランブルエッグの組み合わせが絶妙。●11:00〜20:45(夏季)/木曜定休/清水町南4条5丁目12-1/TEL 0156-62-1788
【C】JR北海道・幾寅駅(じぇいあーるほっかいどう・いくとらえき)
映画のシーンそのままの駅
浅田次郎の小説を映像化し、人気を博した映画『鉄道員(ぽっぽや)』。その舞台となったのがJR根室本線の幾寅駅だ。駅舎の正面には映画で使われた『幌舞駅』の看板が今も掲げられている。
●入場無料/南富良野町字幾寅/TEL 0167-52-2178
【D】沙流川温泉ひだか高原荘(さるがわおんせんひだかこうげんそう)
原生林のなかの一軒宿
原生林を流れる沙流川のほとりに建つ宿で、さんさんと陽光が注ぎ込む大浴場が気持ちいい。日帰り入浴(500円)が利用できるほか、食堂もあるので、峠越えの前の休憩スポットとして利用できる。●1泊2食付9,100円〜/日高町字富岡/TEL 01457-6-2258
アクセスガイド
「さんふらわあ」で北海道へ
茨城県の大洗港と苫小牧港を結ぶ商船三井フェリー「さんふらわあ」は、首都圏のドライバーにとって非常に便利な存在。毎日、夕方便と深夜便の2便が運航されているので、効率よく旅の計画を立てることができる。船室はツーリスト(片道の旅客運賃9,900円〜)からスイート(同:45,800円〜)まであり、予算に応じてチョイスが可能。レストランや展望浴場などの施設も充実。
★運航スケジュール
大洗→苫小牧 19:45発→翌13:30着(夕方便)/01:45発→19:45着(深夜便)
苫小牧→大洗 18:45発→翌14:00着(夕方便)/01:30発→19:45着(深夜便)
※毎日運航(不定期で休航あり)
★乗用車運賃
5m未満 26,740円(A期間)〜39,090円(D期間)
6m未満 31, 890円(A期間)〜46, 290円(D期間)
※乗用車1台+運転者1名のツーリスト片道運賃
●商船三井フェリー http://www.sunflower.co.jp / TEL 0120-489850