様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回は、オートモビリアとともに育まれた夢の原動力によって、共に過ごすことになったクルマたちとの豊穣な体験ついて語ってみたい。
夢よりも速いクルマたち
僕が最初に手に入れたクルマは、ブルー・メタリックのマセラティ・カムシンだった。あいにく不動車で、結局修理も叶わないままに手放してしまった。海外に渡ったらしいそのカムシンが、健在であることを祈っている。もしも、そのカムシンがちゃんと走るクルマだったら、僕のその後のクルマ人生は違う展開になっていたかもしれない。
その次に手に入れたのは、マトラ・ジェット。カムシンの場合は子供の頃からの憧れによっての購入だったが、ジェットの場合は僕の審美眼と理性的な取捨選択による理想のクルマの実現だった。僕はジェットには初恋の人に対するような気持ちを今なお抱いている。
3台目に購入したのはパナールPL17。初期のディナ54が理想だったが、たまたますぐに手に入るところにあったのが、外装がシックな黒色、内装が赤と白の配色で、僕の好みではなかったが、アールデコ的でありパリのカフェに共通するインテリアの意匠にこれも良かろうという気持ちになったのだった。乗り始めると、パナールのちっぽけな空冷水平対向2気筒に感銘してDBやCDに至る道が開けた。
英国車ではMGなどの保守派には、はなから興味を感じず、アプレゲールのアバンギャルドであるロータスだけが僕の崇拝の対象だった。スポーツカーのコンセプトを追求してこれ以上削るところが無いほどに究極的なセブン、古典的に調和した美しいスタイルを纏いつつも才気煥発なタイプ14エリート。フロント・エンジンのレーシングカーの到達点であるイレブンや葉巻型フォーミュラの理想形である31を次々に購入し、その後もMk-6やMk-9を購入した。
イタリア車は、ディーノやアルファロメオSZ2から始まった。両車ともとても乗りやすいクルマだったが、チシタリア202CMMの1号車、通称サヴォヌッツイ・クーペとかアエロ・ディナミカと呼ばれるチシタリアのワークスカーを得たことが僕にとってスプリングボードになった。202CMMでヨーロッパのヒストリックカー・イベントに参加し始めてから、僕の世界が大きく変質し拡大したのだった。チシタリア202CMMについては、自らの監修でモデルカーの生産も企てたが、中断してしまった。
もともと夢見ることが好きなたちで、書籍やミニカーや様々なオートモビリアに親しみながら夢を育んできたきたけれど、それらと実車は僕の中では等価なもので、互いに相まって知見を深め、豊穣な体験をさせてくれた。