“空冷水平対向6気筒のリア・エンジン車”と聞けば多くのクルマ好きはポルシェ911を思い浮かべるだろう。しかし、シボレーの野心作、コルベアもまた同様のレイアウトで一世を風靡した1台だった。アメリカ製乗用車の歴史に新たな1頁を加え、その物語を続けていくかもしれなかったのだが……。
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悲運の革新的コンパクトカー、シボレー・コルベア
ガソリン自動車が生まれて130余年。その間に生まれた星の数ほどのクルマと、その周辺にちりばめられた悲喜交々のエピソードは枚挙に暇が無い。実際にそのクルマに乗っているとかいないとか、そういう即物的なスタンスとはまた別に、そんな歴史や逸話を楽しむというのもまたクルマ趣味のひとつのあり方。
今回取り上げたシボレー・コルベアも、多くの日本人にとっては”日常的に慣れ親しんだ存在”ではなく、”自動車史を語る上で欠かせない(でも、ちょっとマイナーな)1台”ということになろう。
1950年代のアメリカには、徐々に復興を遂げつつあった欧州から多くの小型車が輸入されはじめていた。”経済的で簡便”と一定の支持を得たそれら(もちろんその筆頭はフォルクスワーゲン、そしてルノー・ドーフィンなどだ)は、大型車が主流だった当時のアメリカの自動車メーカーにも意識の変化をもたらした。
そんな時代の流れの中、欧州産の小型車に対抗するために、GMのシボレー・ディビジョンが1959年(モデルイヤーは1960年)に生んだのがコルベアである。このクルマの最大の特徴は、リア・エンジン車であるということだろう。しかもそのエンジンはアルミブロックの空冷水平対向6気筒。さらに1962年からはターボチャージャーを備えた高性能版がラインナップされ、ボディもいち早くモノコックを採用するなど、当時の一般的なアメリカ製乗用車に比べると、異例の存在だった。
また途中でバリーションに加わったスペシャリティ・クーペたるモンツァ・クーペはその流麗なデザインで人気を博し、ライバルのフォードをしてマスタングを作らしめた遠因ともいわれた。洒落た実用車といったイメージに牽引されて販売は好調のうちに推移、1965年にはビッグマイナーチェンジを行いコルベアは”第2世代”となる。
そんな独自のキャラクターで支持を増やして行ったコルベアだったが、思わぬ落とし穴が待ち受けていた。弁護士にして社会運動家として知られるラルフ・ネーダー氏が、自信の著書『どんなスピードでも自動車は危険だ』の中で、コルべアのスイングアクスル式後輪サスペンションがスピン・横転を起こし易いと指摘。1964年後半以降のコルベアは、既にその対策も講じられていたのだが、一度世間に広まったマイナスイメージを払拭する事は叶わず、生産台数は徐々に下降。モデル末期には生産ラインからも外され、専業のスタッフの手によってほぼ手作業で組み立てられていたという。今回ご紹介した個体は、その最終期に当たるモデル。
本来保守的なブランドが生んだ革新的なコンパクトカー。そして消費者運動家とメーカーとの確執。現代にも通じる複眼的な視点を見せてくれたシボレー・コルベアの物語は、やはり忘れるわけにはいかないのだ。
【SPECIFICATIONS】1969年式 シボレー・コルベア・モンツァ・スポーツクーペ
●全長×全幅×全高=4656×1770×1341mm
●ホイールベース=2743mm
●車両重量=1185kg
●乗車定員=5名
●エンジン形式=空冷4サイクル水平対向6気筒 プッシュロッド式OHV
●総排気量=2683 cc
●最高出力=110ps/4400rpm
●変速機=GM製パワーグライド2速A/T
●懸架装置=(F)独立式 コイル/ウィシュボーン/アンチロールバー:(R)独立式 コイル/トレーリングアーム/ラテラルロッド
●制動装置 (F&R)=ドラム