元スーパーカー少年のココロを捉えて離さない永遠の名車「ポルシェ911 カレラRS2.7」の魅力
原体験がその後のカーライフに大きな影響を及ぼすように思えてなりません。今回取材した神谷元一さんは「スーパーカーブーム直撃世代」。当時の大勢の子どもたちと同じようにスーパーカーに憧れ、熱狂し、そして大人になって夢を叶えたひとりです。
神谷さんが手に入れたスーパーカーとは、「ナナサンカレラ」こと「ポルシェ911 カレラRS2.7」。日本で「ナナサンカレラ」といえば、ホワイトのボディカラーに、ボディサイドに「Carrera」の文字の赤または青いデカールが貼られたクルマのイメージが強いでしょう。
しかし、神谷さんの「ナナサンカレラ」は、濃いグリーンの個体。生産台数1580台とされるナナサンカレラのなかでも、わずか12台しか存在しない「アイリッシュグリーン」という、珍しいボディカラーをまとっています。
なぜ神谷さんが「ナナサンカレラ」に惹かれたのか。そして、世界的にもレアな「アイリッシュグリーン」の個体を手に入れることができたのか。神谷さんとその愛車を取材しました。
【画像29枚】生産台数12台のポルシェ911 カレラRS2.7! 絶対音感を持つオーナーが語る究極の空冷ライフ
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スーパーカーブームに熱狂した少年時代
――神谷さんがクルマ好きになった「原体験」は何でしたか?
私が幼稚園のときに父親がミニカーを買ってくれていましたし、そのころにはクルマが好きになっていましたね。本格的に興味を持ちはじめて、クルマの名前まで覚えようと思ったのは小学校の4年生のころでした。ちょうどスーパーカーブームが過熱しはじめてきたときと重なったんです。
――まさにスーパーカーブーム直撃世代!
そうです。スーパーカーショーを観に行ったり、スーパーカー消しゴムや、当時の東京12チャンネル(現在のテレビ東京)でオンエアされていた「対決!スーパーカークイズ」に夢中になったり(笑)。
1枚のカードに1台ずつスーパーカーの情報をまとめた「ザ・スーパーカー」という本が出たり、分厚い文庫本みたいな「スーパーカー大百科」も流行りましたね。まるで英単語帳のように本に書かれていることを覚えました。
――当時、スーパーカーに熱狂したのは男子だけですか?
私のまわりでは男子だけでした。女子はピンク・レディーなどのアイドルに夢中でしたよ。テレビで「対決!スーパーカークイズ」がオンエアされた翌日は、番組の内容が男子の話題の中心でした。
――神谷さんの周囲で人気があったスーパーカーは?
当時、人気のスーパーカーといえば、やはりランボルギーニカウンタックLP400と、フェラーリ512BBの2大巨頭でした。漫画「サーキットの狼」の主人公・風吹裕矢の愛車であるロータスヨーロッパが好きな子もいました。
リトラクタブルヘッドライトがスーパーカーの象徴といった雰囲気がありましたね。トヨタ2000GTやシボレーコルベット(C3)もスーパーカーのカテゴリーに入っていました。それと、リトラクタブルヘッドライトのクルマといえば、マツダからサバンナRX-7(SA22C)が発売されたときは、子どもゴコロにも衝撃でしたね。
さらに、スーパーカーといえば「スーパーカー自転車」も人気でした。スーパーカーと同様にリトラクタブルヘッドライトを装備しているとエライ! みたいな(笑)。私は変速機なしの自転車でしたが、ブリヂストンの「モンテカルロ」が人気で、みんなの憧れでした。
私はというと、ランボルギーニミウラが好きでした。最高速度ではフェラーリ512BBやカウンタックLP400の方が上でしたが、ミウラのシンプルなデザインは当時から印象に残っています。あと、使っていた下敷きがオレンジ色のミウラだった、ということも大きいかもしれません。
――神谷さんはデザイン以外でもスーパーカーに魅力を感じていたそうですね
小さいころからピアノを習っていて、自分でいうのも何ですが、小学生のときには絶対音感に自信がありました。その影響なのか、実は「音マニア」でして。「対決!スーパーカークイズ」で音当ての問題があり、エンジン音で車名を当てられました。そんなわけで、スーパーカーもやっぱり音の好みがあって。基本的に「6気筒の倍数(?)の音」が好きなんだと思います。
1980年代の終わりくらいに、当時カーグラフィックを発行していた二玄社が「CG VIDEO」として、1906-1986年のタルガフローリオをまとめたビデオを発売したんです。この映像……ではなく、音を聴くためにわざわざビデオデッキを購入したほどです(笑)。実際に映像を観てみると、フェラーリ250GTOの12気筒エンジンの音には特にしびれました。
――実際にスーパーカーショーは観に行ったんですか?
当時、スーパーカーショーといえば晴海が有名でしたが、当時の住まいから少し離れていたので行けなかったんです。でも、地元の市役所の駐車場や隣町でスーパーカーショーが開催されたことがあって。
カウンタックやミウラなど、1台だけスーパーカーが展示されるイベントでしたが、友だちと観に行きましたね。助手席に座ったり、スーパーカーと一緒に撮影するために2,000円払って(笑)。当時住んでいた家の近くでロータスヨーロッパを所有している人がいて、しかも屋外駐車してあったんです。こちらはタダなので、こっそり近くまで行って観たりしました。
――その後、スーパーカーブームは下火に……
1979年の終わりぐらいにはスーパーカーブームは落ち着いたんじゃないか、と思います。私を含めた当時の子どもたちも、コーラのヨーヨーやファンタのバンバンボールなどに興味が移っていきました。
当時「スーパーカー」というと、なんとなく小学生が追っかけるイメージがあったので、中学生になってからはスーパーカーという言葉自体、発することがなくなりましたね。
ナナサンカレラへの憧れと愛車遍歴
――その後、現在の愛車であるナナサンカレラを意識するような出会いがあったんですね
スーパーカーブームのときにも、早瀬左近の愛車であるナナサンカレラの存在はもちろん認識していました。でも、本格的に意識するようになったのは、高校生になってから知り合った友人の存在が大きいんです。その友人はクラシックカーへの造詣が深く、年代でいうと1960年代、ポルシェでいうと356、フェラーリでいうと250の時代のモデルに詳しい人でした。
いまと違って古いクルマの情報源は限られていたので、高校2年のときにはその友人に連れられて、かつて青山にあった「島田洋書」という書店にも行きましたよ。友人の愛読書は「スクランブルカーマガジン(後のカーマガジン)」、私は「くるまにあ」でした。なぜ「くるまにあ」だったかというと、いずれ実車を手に入れたいと思っていたから、「欲しいクルマがいくらで買えるのか」中古車の相場が知りたかったんです。
私の記憶では、当時(1985年ころ)はというと、ナナサンカレラとディーノが同じくらいの相場で、だいたい580万円。ミウラや512BBが1500万円で買えた時代です。フェラーリ308は500万円くらいでした。その友人とも、「ナナサンカレラとディーノは同じ価格帯だし、買うならどっちにする?」みたいな話をよくしていましたね。
――高校生のときには、将来リアルにオーナーになることを考えていらっしゃったのですね
運転免許を取得後、自分が買えそうなクルマを常にウォッチしていました。当時、何とか手が届きそうだったのは、フィアットX1/9かポルシェ914でした。結果的に、人生初の愛車は、21歳のときに手に入れたポルシェ914だったんです。
――その後の神谷さんの愛車遍歴を聞かせてください
ポルシェ914には4年間乗りまして、次に日産スカイライン RSターボC、いわゆる「鉄仮面」に乗り換えました。そのあとは1989年式ポルシェ911(930)、1973年式ポルシェ911Sと乗り換えていくこととなります。
結婚を機にポルシェ911Sを手放し、ゴルフ2 GTIに乗り換えました。その後、スカイライン GT-R(BCNR33)に乗り換えたんですが、子どもが増えたことを機にマツダMPVにしました。それからわずか4ヶ月後にナナサンカレラを買っちゃったんです。
巡ってきた奇跡のチャンスと、妻からの「神の声」
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