何よりこだわった軽量化と重量配分
ほかのどんなエンジンでも味わえないロータリーエンジン(RE=ヴァンケル・ロータリーピストン・エンジン)を搭載し、スポーツカーを愛する者の心を虜にしたRX-7には、3つの世代がある。竹を割ったように明快な清潔感にあふれていたSA22C型(1978〜1985年)、思いきりヨーロッパ的な風情を漂わせ、今でも熱烈なファンが多いFC3S型(1985〜1991年)、それらの経験をすべて凝縮して完成させた最終型FD3S型(1991〜2002年)だ。ここにはFD3Sの透視イラストを紹介するが、生産終了から10年以上を経た今、さらなる発展タイプの噂も絶えず囁かれている。
これらすべての開発に携わってきた貴島孝雄は、FD3Sの開発主査をつとめた当時、「クルマの中で一番かっこいいのがスポーツカーだ」と言い切った。人間の能力を超える高い限界性能を手に入れ、意のままにコントロールする満足こそが「操る楽しさ」だと考えたからだ。
それを一身にまとったRX-7の心臓となるのがRE。同程度の出力を持つレシプロエンジンよりはるかにコンパクトな(けっして軽くはないが)REを、前車軸より思いきり後方に、しかも低く積むフロントミッドシップ配置がすべての基本。これによって前後の重量配分をスポーツカーの理想である50%ずつに近付けたうえ、オーバーハング部分の軽量化にもつとめ、いわゆるZ軸まわりの慣性モーメントを最小限に抑えることができた。そのうえで、鋭敏だが過敏ではなく、GTとしての快適性も持ち、ハッチバッククーペとしての実用性まで満足させたのだから、ファンが色めき立たないわけがない。
このREはSA22C時代の130ps(NA)から始まってやがてターボ化され、FD3S最終期のタイプRとRSでは、当時の日本車の最高値280psまで強化される。シーケンシャルツインターボによる切れ目のないトルクと鋭いアクセルレスポンスは、変速機とファイナルを強固につなぐトルクチューブ的なパワープラントフレームや、常に時間差ゼロでトルクベクタリング機能を発揮するトルセンLSDとの組み合わせによって、このうえなく磨き抜かれた走行感覚をもたらした。クルマ自体の高性能と、操縦するドライバー自身の感覚が分かちがたく結びつく独特のRX-7ワールドが、そこにはあった。それを支えたサスペンションはFD3Sで前後ともダブルウイッシュボーン化されたが、コーナリング時に路面からの反力で後輪のトー角を微妙に変える、いわば受動的4輪ステアによる絶妙のオンザレール感覚などは、FC3S時代から実用化されていた。こういうリアサスペンションだから、鋭いステアリングも安心して操れた。
RX-7の現役時代、マツダはグループCカーで国際的なビッグレースに挑戦し、1991年には787Bでル・マン24時間に日本車として初めて優勝するなどの戦果を挙げた。いろいろな意味で、マツダのスポーツマインドが最も盛り上がった時期を、RX-7も駆け抜けたのだった。