

























戦争と平和
4〜5月頃に実施していたタイヤ空気圧の実験を経て、操縦の楽しさと安定性が増したと感じている自分のマンクス。今年は11月に車検なので、お盆を過ぎるとそろそろ下準備に取り掛からねばならないが、6〜7月頃はのんびりとドライブを楽しんで過ごしていた。
【画像25枚】勇ましさのはらむ虚しさと、気楽さの有難さに思いを馳せてバギーを見る
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ケーズ・コレクションにお邪魔する
現状取り立てて手を入れたいところはないが、実はビキニトップの具合があまり良くない。前回の車検でフロント側のスナップ位置を是正し、トップ前端にも手を加えてもらったのだが、フレームに差し込むプレートの長さがやや足りなかったようで、高速巡航時にトップがフレームから外れそうになる事態が何度か発生したのだ。
自分はオープンで走るのが好きなのだが、ビキニトップは真夏の日差しや急に降り出す雨の対策としては有用なので、そこは直したいという気持ちを「ケーズ・コレクション」の下村さんにお電話でお伝えした。ついでにお互い近況報告などをしていたら、同店には現在キューベルワーゲンのレストア・ベース車輌が入庫しているのだという。私の世代の男子はタミヤ1/35MMシリーズが標準的な通過儀礼のひとつであったので、当然気になるわけである。
キューベルワーゲンを観察した
3年ぶりにお邪魔した「ケーズ・コレクション」は相変わらずファンキーかつマッド・サイエンティスト的な独特の雰囲気に満ちていて、個人的にはとても好きなショップである。久々の挨拶もそこそこに、下村さんにお願いして早速キューベルワーゲンを見せていただくことにする。
キューベルワーゲンとは戦前型フォルクスワーゲン(KdFワーゲン)をベースとする軍用車輌であり、第二次世界大戦時に供された、言わばドイツのジープ的な立ち位置のクルマだ。1939年にプロトタイプが完成、1940年から生産開始、型式名は「Typ82」。
ジープが四輪駆動だったのに対してキューベルはビートル同様に後輪駆動のままだが、後輪のハブ内にリダクション・ギアを備えており、ローギアード化によるトルク増強が図られると共に最低地上高を上げている。オープンボディのホロ型で極めて軽量なため、ジープに勝るとも劣らない荒地での走破性能を発揮したらしい。
さて見せて頂いたキューベルは、完全なレストアベースである。聞けば下村さん自身が以前所有していたもので、レストアに必要なパーツ一式と共に販売したのだが、20年近く経って戻ってきたのだそうだ。結局レストアされなかったわけだが、下村さんによると幸いパーツもほぼ揃っているようだ。
コンディションはともかく、実物が見られる機会もそうそうないので、じっくり観察させてもらった。ご覧のように車の原型は留めているし、エンジンは下ろされているが、スタンド・エンジンも別途準備してあるそうだ(ナンバーズ・マッチではない)。年式は1943年。キューベル(Typ82)は1943年にマイナーチェンジを受けており、この個体もマイチェン後の仕様である。1943年以降はボディパネルにプレスされているリブのパターンが簡略化されているので、それ以前との識別は比較的容易だ。
下村さんによれば、どこまで手を入れるかによるが、普通に走行できるレベルにレストアして乗り出し可能な状態にするのは、それほど難しくないだろうとの見立てであった。自分自身、余裕があれば所有して乗ってみたいところだが…… 現実は甘くない。
自分にとって最大の魅力は、キューベルがカブリオレ(ホロ型)であることだ。4座オープンで「窓なし」だからボディ型式的に言えば「フェートン」ということになるのかもしれないが、バギー同様、オープンエアを味わえる。言わば「ロードスター」に近い。そして戦中ドイツ製車輌としての歴史の重みにも惹かれる。
もちろん“あの時代のドイツの軍用車輌ではないか”と苦言を呈される向きもあるかも知れない。しかし民生用KdFワーゲンとて元来同じイデオロギーの下で生まれたクルマである。戦後時代が移り変わっても、空冷ビートルという機械の出自が書き換えられることは決してない。それらの歴史も踏まえて、ご購入に関して具体的なご興味をお持ちの向きは、「ケーズ・コレクション」下村さんに是非ご連絡のほどを。
ブルース・メイヤーズのこと
前回のこの日記でも少し書いたが、マンクス生みの親である故ブルース・メイヤーズ氏は、日本とセンシティブな関わりを持っていた。彼は1945年に米国海軍空母「バンカーヒル」に機関砲撃手として乗艦、沖縄戦に従事していた。弱冠18歳だったという。
1945年3月24日から米国海軍によって展開された沖縄本島南部への艦砲射撃と空爆を受けて、日本側は海軍による「菊水作戦」なる特攻を4月6日から実施。この攻撃による両軍の損害は当初から甚大だったが、中でも米軍側で最大の被害を受けたのが、ブルースの乗船していた空母バンカーヒルであった。
1945年5月11日、バンカーヒルのレーダー網をかいくぐって超低空で接近してきた日本の特攻機は直前で急上昇して250キロ爆弾を投下し、甲板上で出撃準備をしていた34機の艦載機の中央周辺に突入した。燃料を満載していた艦載機は次々に誘爆、さらに30秒も経たない内に、もう1機の特攻機が甲板後部に250キロ爆弾を投下して突入、発生した爆発と火災でバンカーヒルは艦全体が焼き尽くされ、402名に及ぶ戦死者行方不明者、264名に及ぶ負傷者を出した。これは日本軍の特攻によってアメリカ艦船が受けた最大の被害であった。
もとより泳ぎに長け、ライフセイバーの経験もあったブルースは海上で多くの乗員を救助、凄惨な現場で稀有な生き残りとなったが、その後の数日間、300体以上の遺体を回収して焦げた甲板に並べることを余儀なくされた。死後硬直で固まっていく遺体の表情を、なんとか笑顔にさせようと口元を指で整えたという(メイヤーズ・マンクスのキャッチで“smile(スマイル)”という単語が頻繁に出てくることが想起される)。
いうまでもないが、この体験はブルースの心に深い傷を負わせたはずだ。それゆえ、日本人であり、マンクスの愛好家である自分としては、その後の彼の心のありようがどうしても気になっていた。インターネット上に転がっているインタビュー記事の殆どを読んだが足りない。本人が逝去した今となっては、手を尽くしても彼の言葉を聞くことはできない。
そんなわけで、少しでも手掛かりを増やしたくて最近入手したのが彼の著書『BIRTH OF A SMILE』である(2022年発行)。彼は2021年2月に亡くなっているので、死後まもなく出版されたものである。販売は奥さんであるウィニー・メイヤーズが行っているので、興味ある向きはmanx clubのサイトからアプローチしてみて頂きたい。レターサイズ判・横綴じカラー120ページ。
内容は幼少時のことが少し書かれているが、復員後〜B.F.メイヤーズ社時代〜廃業後〜1990年代の復活後のことが殆ど(戦争体験については書かれていない)。かなり詳細に歴史が網羅されており、お奨めできる好著だと思う。
和解と昇華のプロセス
そんなわけで著書「BIRTH OF A SMILE」は好著ではあるが、私が求めた事柄に関する記述はなかった。しかしヒントはあった。それはかつて1960年代にブルースを苦しめたマンクスのコピー品との闘いに関するその後の展開である。コピー品に対するブルースの訴えが法廷で認められなかったことで彼は深く傷つき、デューン・バギーに興味を失い、会社も廃業することになったが、1990年代に至って、復活することになったのはご存知の通り。
この復活時の気持ちが重要なのだが、彼はこの時、かつてのコピーメーカーへの憎悪を捨て、「君のデューンバギーがマンクスであろうが、なかろうがどちらでもいい。それが人々に笑顔とささやかな冒険をもたらすクルマであればそれでいい」という和解と昇華のマインドリセットを為していた事実が書かれているのだ。軽率に期待すべきでは勿論ない。しかしこれはひとつのヒントにはなった。
シン・ワタナベによるインタビュー
そんな矢先、アメリカの空冷VW誌「dune buggies and hot VWs」で2017年から今年の7月まで編集長を務めたシン・ワタナベ氏が、ブルースが亡くなる前年の2020年にインタビューをしていたことを知った。ワタナベ氏とは旧知の仲なので電話で連絡を取ったところ、とりあえずインタビューの動画を見てみたら、ということでYouTubeのhot VWsチャンネルにアーカイブされていたその動画を見た。
動画でワタナベ氏はカメラを回しており、進行はもう一人の編集者が担当しているので、ワタナベ氏の発言は殆どないのだが、動画冒頭でブルースは、「シン・ワタナベ、よく来たな!」と歓待している。動画の中盤でブルースは唐突に戦争体験について語り始め、ひとしきり話した後、「俺は今日なぜこんな話をしているんだ……」と我に返っている。
その後、インタビューが終わり、皆が挨拶した後、ブルースはカメラを構えたワタナベ氏の手を握りながら、「シン・ワタナベ、ワタナベ……」とワタナベ氏の名前を反芻しながら笑い、温かく握手を交わしている……。自分が求めていたものはここにあったのだ……。

シン・ワタナベ氏が編集長を務めた「dune buggies and hot VWs」の2021年4月号。1967年にブルースが「メキシカン1000」に出場した折のマシーン、GOLDI(ゴールディ)の復刻版が表紙。逝去すぐ後の発売で、奇しくもメイヤーズ・マンクス特集号であった。
聞いたところ、それまでワタナベ氏は、ブルースが“KAMIKAZE ATTACK SURVIVOR”だとは知らずに、親交を持っていたのだそうだ。このインタビューは2020年11月24日、ブルースが亡くなる約4ヶ月前に収録されている。自分にとっては、至宝のようなインタビュー・ムービーである。
タイトルは「Hot VWs Magazine: Bruce Meyers’ life 1926 – 2021」、URLはhttps://www.youtube.com/watch?v=xqE-C-gjPYI ご興味を持たれたら是非ご視聴いただきたいと思う。それでは次回もお楽しみに!





