伝説の「世界最速ロードレーシングカー」が90年の時を超えて帰還
アウディの歴史的車両を管理するアウディ・トラディションは、1930年代に活躍した象徴的な速度記録車「アウトウニオン・ルッカ」を復刻し、2026年5月上旬にイタリアの都市ルッカで初公開した。当時の最先端技術を結集し、時速326km/h超という驚異的な最高速度を記録したこの美しい流線型のマシンは、3年以上の歳月をかけて手作業で現代に甦った。2026年7月には英国で開催されるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて、初のダイナミック走行を披露する予定だ。
【画像23枚】手作業で蘇った狂気の証。最高出力520psを誇るV16エンジンと、精巧なアルミボディのディテールを写真でチェック
命がけの速度記録競争。ハンス・シュトゥックが刻んだ歴史的偉業
1930年代のモータースポーツ界は、グランプリレースだけでなく、メーカー同士による熾烈な速度記録競争の舞台でもあった。ダイムラー・ベンツとの激しいライバル関係の中、アウトウニオンは新たな記録を打ち立てるべく、新型車の開発に着手した。そして1935年2月15日、イタリアのルッカ近郊にある長く平坦でグリップ力の高い高速道路にて、経験豊富なレーシングドライバーであるハンス・シュトゥックの操縦により、歴史的な記録への挑戦が行われた。
この日、フライングスタートによる1マイル記録において、算出平均速度320.267km/h、測定最高速度326.975km/hという驚異的な数値を叩き出したのである。当時の公式タイムキーパーたちは、電気的にトリガーされるフォトセルを備えた最先端のクロノメーターを使用し、この記録を正確に計測していた。この偉業により、アウトウニオン・ルッカは当時「世界最速のロードレーシングカー」としての名声を轟かせることとなった。
空力という新たな武器。風洞実験から生まれた「レーシングセダン」
この驚異的な速度を実現したのは、徹底したエアロダイナミクスと軽量構造、そして高性能エンジンの組み合わせである。開発にあたり、アウトウニオンのレーシング部門はベルリン・アドラースホーフ航空研究所での風洞実験の結果を取り入れ、車両の空力特性を飛躍的に向上させた。初期にはオープン仕様でテストが行われたが、後に空力改善のためにクローズドコックピットが採用されている。完成したボディはフィンのようなリアエンドとティアドロップ型のホイールアーチを持ち、従来のレーシングカーとは一線を画す細長く美しい流線型のシルエットを形成していた。
ボディは精巧に研磨されてクリアラッカーでコーティングされ、スポークホイールにはホイールカバーが装着された。また、リアにある2つの円形の開口部はキャブレターへの外気取り入れ口として機能し、エキゾーストパイプは上を向き、左右それぞれ2つの出口にまとめられているなど、細部に至るまで徹底した作り込みがなされていた。この高い機能性と美学を両立させた高速マシンは、当時のプレスから「レーシングセダン」を意味する「Rennlimousine(レンリムジン)」と名付けられた。
3年の歳月と手作業が紡ぐ、歴史的遺産の完全復元プロジェクト
アウディ・トラディションは、歴史的な写真やアーカイブ資料を基に、英国のレストア専門業者であるクロスウェイト&ガーディナーにこの名車の復刻を依頼した。3年余りの期間を費やし、コックピットのキャノピーやテーパー状のテールなど、複雑な流線型ボディを含めたすべてのコンポーネントが手作業で特別に製作され、2026年春に完成に至った。アウディの風洞実験では、この復刻車の空気抵抗係数(Cd値)が0.43であることが確認されている。
車両の復元においては、当時の姿を忠実に再現するだけでなく、デモンストレーション走行を見据えた耐久性や効率性への配慮もなされた。例えば、エンジンは視覚的に区別がつかないという理由から、1936年のアウトウニオン・タイプCに搭載されていた6Lの16気筒スーパーチャージャー付きエンジン(最高出力520ps)が採用されている。さらに、走行時の過度な熱応力を防ぐため、1935年5月のアヴス・レースに出場した際に施された換気システムの改良なども組み込まれており、ラジエターやボディパネルに小規模な変更を加えることでアヴス仕様への変換も可能となっている。
また、当時のアウトウニオンのチームは、ハンガリーやミラノで天候の悪化に直面すると直ちに南下して別のテストコースへ移動するなど、非常に高い柔軟性と適応力を持ち合わせていた。プロジェクトマネージャーを務めたティモ・ヴィットは、当時のチームが示した技術的および組織的な対応の速さがなければ、ルッカでの記録樹立は不可能だったと語っている。
“技術による先進”の証。伝説のマシンが7月のグッドウッドに降臨
アウディ・トラディションの責任者であるシュテファン・トラウフは、この車両がエンジニアリングの役割を見事に実証しており、アウディの「技術による先進(Vorsprung durch Technik)」がいかにして1930年代に達成されたかを示すものだと語っている。完成したアウトウニオン・ルッカの復刻モデルは、アウディAGの歴史的車両コレクションに加わり、伝説的なシルバーアローの系譜を受け継ぐこととなる。
イタリア・ルッカでの発表を経た後、この美しいレーシングセダンは、2026年7月9日から12日にかけて開催されるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて、公の場では初となるダイナミックな走行を披露する予定とのこと。最高レベルのパフォーマンスとエレガントなラインが融合した歴史的マシンが、再び人々の前で疾走する姿に大きな期待が寄せられている。
【ル・ボラン編集部より】
かつてのアウトウニオンは極限の速度記録に挑み続け、そのDNAは現代のアウディが掲げる“技術による先進”へと脈々と受け継がれている。今回の「ルッカ」復刻は単なる懐古趣味ではない。1930年代の狂気にも似た記録競争の中、航空力学を取り入れた流線型ボディとV16エンジンの組み合わせは、当時のエンジニアたちの野心の結晶だ。かつてPヴァーゲンがミッドシップの歴史を切り拓いたように、アウディが誇る技術の根底には、常にこうした限界への挑戦が存在しているのである。
【画像23枚】手作業で蘇った狂気の証。最高出力520psを誇るV16エンジンと、精巧なアルミボディのディテールを写真でチェック


























